2010年5月14日(金)「しんぶん赤旗」
主張
世田谷国公法弾圧事件
審理つくさぬ有罪判決は不当
元厚生労働省職員の宇治橋眞一さんが、2005年の衆院選中の休みの日に、東京・世田谷区の集合住宅に「しんぶん赤旗」号外を配布した行為が、公務員の政治活動を禁止した国家公務員法違反にあたるとして起訴された国公法弾圧世田谷事件で、東京高裁は一審につづき有罪判決を言い渡しました。1人の証人も採用せず十分な審理をつくさぬまま控訴を棄却した、まったくの不当判決です。
堀越事件と正反対の判決
3月には、同じように選挙中に職場と関係ない場所で「しんぶん赤旗」号外を配布し、国公法違反に問われた元社会保険庁職員の堀越明男さんに、東京高裁の別の法廷が、逆転無罪の判決を言い渡しています。この判決は、多くのマスメディアからも、国民の権利の立場から当然の判決だという評価をえています。どうして二つの判決で、こういう正反対の結果がでるのでしょうか。
特徴的なのは、今回の世田谷事件判決が、世論からも学界からも批判の多い1974年の最高裁猿払(さるふつ)事件判決を金科玉条のようにあつかい、そこから一歩も出ていないことです。
猿払事件判決は、国公法が一般公務員の政治的行為にたいし刑事罰をもって規制する理由を、「行政の中立性とそれにたいする国民の信頼」におき、国家公務員の政治的行為の内容を人事院規則によってまったく些細(ささい)な項目まで列挙し、禁止していることを言葉通り適用できると判断したものです。そのため、「行政(公務)の中立性」を「公務員の中立性」にまでひろげ、実際に行政の中立性が侵されなくてもその可能性だけで犯罪にするという乱暴な結論だとして、きびしく批判されてきました。
3月の堀越事件高裁判決は、政治的行為の禁止規定そのものは違憲ではないとしたものの、堀越さんの場合のような休日に自宅周辺で、国家公務員だということは誰にも分からない形でおこなわれたビラ配布は、行政の中立性を侵していないし侵す可能性もないことを論証し、国公法を適用するのは違憲だと判断しています。また堀越事件判決は、国民の法意識の変化や世界の標準などにも言及し、政治的行為の規制の妥当性そのものを検討する必要性を示唆したことも注目されています。
本来、世田谷事件の控訴審ではこうした論点についても審理をつくし、結論はともかくとしても、裁判所としてそれらについて見解を明確にする義務があったことは明らかです。世田谷事件の弁護団は、堀越事件の判決後も弁論再開を求め、審理をつくすことを要求しましたが、裁判所は一顧もしませんでした。その結果が、古い判例に固執した、形式的としかいいようのない今回の判決となったことは重大です。
最高裁は審理をつくせ
事件は最高裁へ上告され、堀越事件とあわせて、法令そのものが違憲か、これらの事件への適用が違憲か、あるいはそうではないかが、法廷として最終的に争われることになります。
堀越事件判決が指摘したように、国公法の政治的行為の規制が、言論・表現の自由の保障にたいする世界の標準や国民の法意識からみてどうかは重要です。ひろく国民的関心のなかで、裁判がつくされることが求められます。
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