2010年5月7日(金)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
きのう、はや沖縄・奄美地方は梅雨入りしたもようです。めぐる季節。けれど、青空広がる先月25日の沖縄県民大会で発言した2人の高校生の訴えは、まだ記憶に生々しく残っています▼「生活の中に基地があること、…この問題を仕方がないからと、考えるのをやめていないか。…いま一度多くの方に考えてほしい」(岡本かなさん)「私たちは、お互いに手をとり平和を築ける力をもっている。…だから、ただ現状に流されて『仕方ない』と受け入れることで、本当によいのでしょうか」(志喜屋成海さん)▼背伸びせず、ふだんの思いを懸命に訴えた2人。しかし、連休中に沖縄を訪れた鳩山首相の県民に対する回答は、つれなく不誠実です。普天間基地を「最低でも県外へ」は「私自身」の発言で公約ではなかった、というのですから▼首相は、2人の“あきらめずに考えよう”の訴えに、まず応えるべき人でした。なのに、「むずかしい。沖縄に負担をお願いする」と、日米安保の前に思考停止のありさま▼もちろん、多少考えるには考えたようです。しかし、腐心したのは、“公約破りをどうとりつくろうか”だったのではないのか。「最低でも県外」は、総選挙にあたっての、公開の党首討論での言明です。誰がみても公約でした▼なんという言葉の軽さ。「去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して『命(ぬち)どぅ宝』、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました」(県民大会の決議)。この県民の悲願を、なんと心得ているのでしょう。