2010年5月1日(土)「しんぶん赤旗」

きょうの潮流


 …‘今日は五月一日なり、われらの日なり。’/これかれのわれに遺(のこ)したる最後の言葉なり―。石川啄木が1911年に詠んだ詩、「墓碑銘」の一節です▼『メーデーの歴史 労働者のたたかいの足跡』(学習の友社)が、「啄木とメーデー」の見出しで紹介しています。日本の第1回メーデーの9年前。啄木は、「5月1日」がどんな日か知っていました▼当時、社会主義者への道を歩んでいた啄木にとっては、当然といえば当然かもしれません。すでに1905年5月1日、平民社は「茶話会」の名目で、日本初のメーデーの催しを開いています▼作品集で、「墓碑銘」の全編を読んでみました。詩の中の「かれ」は、機械工です。5月1日病死。彼は「われらの会合」であまり議論に加わらなかったが、仲間になくてはならない1人だった、といいます。不屈で、思慮深く▼ある時、彼が語ります。“同志よ、われの無言をとがめるな。議論は苦手だが、われはいつでも起(た)ち上がる準備ができている”。だから同志たちは、彼の墓碑銘にこう刻みたい。「われには何時にても起つことを得る準備あり」▼「かれ」は「大逆事件」の被告、宮下太吉ともいわれます。権力が、天皇暗殺を企てたとでっちあげ、幸徳秋水らを捕らえた「大逆事件」。詩の「かれ」と違い、宮下は1911年1月、幸徳たちとともに死刑になりました。「かれ」の素材の人物が誰であろうと、墓碑銘の言葉は、死の病におかされていた啄木自身の決意のようにも読めます。





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