2010年3月15日(月)「しんぶん赤旗」
B52嘉手納飛来を容認
69年外務省 撤去の声欺く
米に回答 解禁文書で判明
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沖縄の本土復帰直前に米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)から撤去されたB52戦略爆撃機について、復帰後も自由な飛来を容認する了解を交わしていたことが、外務省が9日に解禁した文書で明らかになりました。
核攻撃能力を持つB52は今年2月6日、20年ぶりに嘉手納に着陸。嘉手納町議会は同月17日、「いかなる理由であれ飛来は断固拒否する」との決議を可決しています。
解禁された文書は1969年8月15日付の東郷文彦・外務省アメリカ局長とスナイダー駐日米公使との沖縄返還に関する「極秘」の会談記録です。
スナイダー公使は「B52が台風避難で立寄ることなどは出来ると云(い)うことでなければ困る」と提案。これに対して東郷局長は「核搭載と云うことでなければ解決し得べし」と回答したことが記されています。
しかし、B52が65年、初めて嘉手納に配備された際も「台風避難」が理由だったように、これは嘉手納の自由使用を保証することを意味します。
ベトナムに出撃し、激しい爆撃を繰り返していたB52は68年11月に離陸直後、墜落して爆発、炎上。嘉手納町民16人が重軽傷を負い、校舎や住宅に大きな被害をもたらしました。これを機にB52撤去の運動が広がりました。
70年9月、B52はタイに移転されましたが、米軍は「将来作戦上の必要が生じた場合、B52を再び臨時に配置することを排除しない」との声明を出しています。
これに関して同年12月17日の衆院外務委員会で日本共産党の松本善明議員が「B52はもう決して沖縄に来ないのか」と質問。愛知揆一外相は「従来の話し合いの経緯からすると、B52があらためて、大量に作戦行動で入ってくることは考えられない」と答弁していました。
しかし、72年の本土復帰後も、B52はたびたび沖縄に飛来。86年12月1日未明、「台風避難」を理由に米戦略空軍所属機が12機も飛来する事態も起こっています。
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