2010年3月5日(金)「しんぶん赤旗」

社会リポート

沖縄 「米軍既存基地への移転」反対なかった?

防衛相発言に異議

恩納村民 当時、村あげて抗議した


 「(既存の)基地に移転するわけだから、大きな反対運動は起こらなかった歴史的なものに学ぶべきものはある」(北沢俊美防衛相)。米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の「移設」先をめぐって迷走したあげく、いよいよ「県内たらいまわし」に向けて鳩山政権が声高にする「学ぶべきもの」とは――。(山本眞直)


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 「学ぶべきもの」発言は北沢防衛相が2月19日の閣議後の記者会見で語ったものです。

 普天間基地の「移設先」として政府部内で検討されているキャンプ・シュワブ陸上部案に関する考え方として、次のように述べました。

 「かつて楚辺通信所がキャンプ・ハンセンに移った時に、(基地の中に移転するわけだから)沖縄のみなさん方からはそんなに大きな反対運動は起こらなかったと聞く。そのような歴史的なものに学ぶべきところはあるかもしれない」

「象のオリ」

写真

(写真)住民説明会もなしに着工された米軍通信基地。現地調査する日本共産党の赤嶺政賢衆院議員(左)ら=2002年6月2日、恩納村

 楚辺通信所は、沖縄県読谷村にあり、直径200メートル、高さ約40メートルの巨大な施設は「象のオリ」として知られていました。近隣諸国の電波傍受をする米軍スパイ部隊の施設です。

 しかし2006年の米軍用地特措法の使用期限切れをひかえ、1996年に沖縄県内の米軍基地の「整理・縮小」を議論したSACO(沖縄問題に関する日米特別行動委員会)合意で金武町(きんちょう)、恩納村(おんなそん)にまたがる米軍キャンプ・ハンセンへの「移設」を決めました。06年9月に移設を終了した自公政権による典型的な「米軍基地の県内たらいまわし」です。

 「北沢防衛相の発言はあまりにも軽率であり、撤回してほしい」と語気を強めるのは「象のオリ」の移設先に最も近い恩納村喜瀬武原区の区長。

 移設工事は98年から始まっていました。喜瀬武原区の住民が気づいたのは02年5月のことでした。村の東側にせまるキャンプ・ハンセンの丘陵でブルドーザーが動き回るのを発見。そのうち農業用水を取水している河川に赤土流出が発生したため農業関係者が騒ぎはじめ、通信施設からの電磁波障害などへの不安が一気に村民のなかに広がりました。

 喜瀬武原区は02年5月に臨時区民総会を開き、事前説明もなく始まった移設工事着工に強く抗議、工事の中止などを決議しました。6月30日には総決起大会を開き、「住民に不安な生活を余儀なくさせ、基地機能の強化、固定化を図る施設は断じて許せない」とする決議を採択しました。

 同大会にさきがけて恩納村議会も「移設」に抗議する意見書を全会一致で可決しています。

基地なくせ

 鳩山政権は、こうした村ぐるみの反対運動の歴史を意図的に「封印」、基地内への「移設」ならば県民が反対しても強行できると、自公政権の「県内たらいまわし」の手口を「学ぶ」というのです。

 区長は、村ぐるみの反対運動を振り返り、北沢防衛相の発言をこう批判します。

 「区民は海兵隊の104号県道越え実弾射撃訓練で長年苦しめられ、それが本土移転したら今度は『象のオリ』を押し付けられた。県民の願いは基地の県内たらいまわしではなく、基地のない沖縄だ。普天間基地の陸上部への移設のために恩納村民の反対運動がなかったなどというごまかしは絶対に許せない」



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