2010年3月1日(月)「しんぶん赤旗」

チリ地震 列島緊張

津波対策 遅れた日本

防波堤・観測体制・土地利用規制…


 地球の裏側からのチリ地震津波の脅威に終日、緊張が走った28日。沿岸の各地で浸水したほか、鉄道の運休や道路の通行止め、住民の避難指示・勧告など緊急対策に追われ、日本の津波への備えが問われることになりました。(宇野龍彦)


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(写真)地域の自治会館に避難した人たち。左奥は様子を聞く田中富治市議=28日午後5時すぎ、宮城県気仙沼市

 日本列島がチリ地震津波の脅威にさらされたのは、1960年のチリ地震津波以来半世紀ぶりです。当時の映像によると海が膨れるように沿岸の施設が津波にのまれて浸水、がれきが流失する光景が見られました。

 前回のチリ津波では、同年5月23日に巨大地震がチリ沿岸で発生してから約23時間後、津波警報が出ないまま最大で6メートルもの津波が日本の三陸沿岸などを不意打ちしました。岩手県大船渡市などで142人の死者を出す大災害になりました。

「遠地津波」

 今回のチリ地震津波のように、非常に遠方に震源があるため、地震のゆれが体感できないまま津波がやってくる「遠地津波」(気象庁は日本沿岸から600キロ以上離れたものと定義)は、しばしば大災害をまねいてきました。

 チリ沿岸から津波が太平洋を伝わってくる距離は約1万7000キロで、ほぼ地球を半周する距離です。巨大地震が引き起こす海面の変動域が数百キロにおよび、波の周期が長いためにエネルギーが減衰しないまま日本に到達。地形の影響などで局地的には数メートルの大きな津波となってしまうことが「遠地津波」の怖さです。

 約22万人の死者を出した2004年12月のスマトラ沖地震によるインド洋大津波でも、津波警報が出されなかったインドやスリランカなどで、甚大な被害を出しました。

 前回のチリ地震津波でも、日本の気象庁は事前に津波警報を出しませんでした。ことし1月に中央防災会議の専門調査会がまとめた「1960年チリ地震津波」報告書は「チリ津波の予報は仙台管区気象台がもっとも早かったが、津波到達後であり」、気象庁の「津波警報が間に合った地域は皆無だった」と指摘しています。

 南米沖で発生した遠地津波災害は、日本で1586年以降19回も繰り返されていました。しかし、日本は1952年の津波警報法制化後も、遠地津波を軽視し、観測体制も警報態勢もとられていませんでした。

米国は改善

 同報告書は、前回のチリ地震津波について「近代都市化する直前の津波であったが、都市のもろさが諸所に現れた」とのべ、現在の対策の立ち遅れを分析し、警鐘を鳴らしました。

 前回のチリ津波災害では「貯木場からの木材流失が大問題となったが、その後も対策は進んでいない。積極的に対策を講じている港湾は全国でわずか5港湾しかない」と強調。津波を想定した土地利用規制も、北海道浜中町と宮城県志津川町(現南三陸町)の2町でしか実現しなかったと対策の立ち遅れを指摘しました。チリ地震津波後、岩手県大船渡湾口に津波防波堤が建設されましたが、それ以後は建設されていません。

 遠地津波の観測体制でも、04年末のスマトラ地震災害まで大きく立ち遅れたままで、現在も米国海洋大気圏局・太平洋津波警報センター(ハワイ・オアフ島)の観測・シミュレーションに依存しているのが実情です。

 同センターは、04年のスマトラ地震を教訓に、海底津波計(圧力計)の観測を強化。海上のブイによる人工衛星による津波観測システムとDARTシミュレーションを開始し、太平洋地域の津波警報が大幅に改善されたといいます。

 しかし、遠地津波に繰り返し襲われてきた日本列島の近海では、気象庁がDARTシステムのような津波観測体制を持っていません。このため、気象庁は同センターと連携をとっているものの、精度が高い津波の到達予想や津波の高さの予測をむずかしくしています。

 今回の災害は、沿岸の津波対策とともに、津波の観測体制の強化の大切さを教えています。


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