2010年2月25日(木)「しんぶん赤旗」
主張
3・1ビキニデー
原水爆禁止の願いうけついで
太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが1954年水爆実験をおこなってから、3月1日で56年をむかえます。ビキニ水爆実験は、周辺の島民に深刻な放射能被害をもたらし、操業していた約1000隻の漁船に「死の灰」をあびせ、日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員、久保山愛吉さんの命が奪われました。
「ビキニデー」は、被災による犠牲者を追悼し、核廃絶への決意を固める機会となってきました。今年は核兵器廃絶への前進が問われる5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議をまえに、大きな注目があつまっています。
半世紀にわたる運動の力
広島・長崎に次いで日本国民が三たび核兵器の犠牲となったことへの憤りと、水揚げされたマグロなどの放射能汚染にたいする不安によって、核兵器に反対する声が急速にひろがり、それを土台に翌55年に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。この世論と運動の高まりが、アジアと世界を核戦争の破局から救う、大きな役割をはたしてきました。
ビキニ被災と同じ年、アメリカ政府は、ベトナムから敗走するフランス軍を支援するため、原爆の投下を検討しました。しかし、原水爆禁止運動の高まりを前に、アメリカは「(原爆投下は)アジアの世論と同盟諸国の我々に対する態度に、深刻な問題を引きおこす」(米国務省)と判断し、これを断念したのです。
アメリカはその後も、何度となく核兵器使用を検討しますが、今日までそれを許さなかったのは、世界の反核世論、とりわけ被爆者を先頭とする運動があったからでした。ビキニ被災以来、日本の運動が訴え続けてきた核兵器廃絶の声は、いまや世界を動かす大きな流れとなりつつあります。
日本政府は、本来なら被爆国として、この世界の流れの先頭にたつべきです。鳩山由紀夫首相は昨年9月、核軍縮を主題とした国連安全保障理事会首脳会合で、被爆国としての道義的責任をのべ、「核兵器のない世界」実現への決意を表明しました。しかし、日米軍事同盟のもとで、アメリカの「核抑止力」に依存し、「日米核密約」をむすんで核兵器の持ち込みを許してきた、これまでの恥ずべき政治を根本的にあらためる姿勢はまだみえません。昨年末の国連総会でも、圧倒的多数の賛成で採択された、核兵器廃絶条約の交渉をもとめる決議に「棄権」しています。
鳩山政権にもとめられるのは「核密約」を公開・廃棄し、「非核三原則」を厳正に実施して「非核の日本」をめざすこと、核兵器廃絶を主題とした国際交渉のすみやかな開始など、被爆国としてのイニシアチブを発揮することです。
大きくなる国際的役割
日本の世論と運動がはたす国際的な役割は、いっそう大きくなっています。日本原水協をふくむ国際的な反核運動の幹部5氏が15日、250の反核平和団体を代表して、NPT再検討会議の開催に合わせ「核兵器廃絶の交渉を直ちに開始」することを求めて、ニューヨークと世界の各地で行動することを呼びかけました。
久保山愛吉さんの「原水爆の被害者はわたしを最後に」との願いを受け止め、「核兵器のない世界」への前進をきりひらく被爆国の運動の発展がつよく期待されます。
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