2010年2月22日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPRESS
再生の日々 支えられた
公設派遣村出た27歳
2009〜10年の年越しに行われた国と東京都の「公設派遣村」には、仕事も住居も奪われた人たちおよそ900人が身を寄せました。いま、「非正規切り」「派遣切り」で一度は絶望のふちに立たされた若者たちが、ボランティアなどに支えられ、生活再建に取り組んでいます。(田代正則)
東京都渋谷区の「公設派遣村」会場に、新一さん(27)=仮名=がいました。「昨年夏、派遣されていた工場が閉鎖され、同時に『派遣切り』され、路上生活になった」と話します。
ボランティアと
人懐っこい性格で、「派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」(代表・宇都宮健児弁護士)のボランティアとも、すぐに打ち解けました。しかし、「派遣切り」以前の経歴は、詳しく話したがりません。素っ気なく「親はおらん」と言うだけでした。
生活再建に向け、生活保護を申請したときです。「今後のためにも、本籍地や住民票の所在をはっきりさせよう」という提案に、新一さんは絶句し、うつむきました。
ボランティアから「大丈夫だよ。どんな過去があっても、あなたの生存権を保障するために、生活保護を受けることはできるんだよ」との励ましを受け、自分の生い立ちを、少しずつ語りはじめました。
派遣生活転々と
子どものころ、親に虐待を受けていました。中学を卒業すると実家を飛び出し、料理屋に住み込みで働きはじめました。
20歳になったとき、新聞販売店に勤めながら定時制高校に入学しました。ところが、高校に通い始めて3年半がたったころ、新聞販売店の経営者がかわり、突然、首を切られました。高校卒業を目前に、あきらめざるをえませんでした。
それ以後、派遣労働者として転々とするうち、持っていた住民票が行方不明となりました。実家もいつの間にか転居していました。
「路上生活になったときには、毎日自殺を考えました。いまでも、怖い夢を見て目が覚めるんです」
話し終えた新一さんは、少し胸のつかえが取れた表情になりました。
党の宣伝聞こえ
福祉事務所に住民票を追跡してもらいながら、アパート探しが始まりました。
「保証人も身寄りもない。携帯電話も持っていないぼくに、アパートが見つかるだろうか」。不安のなか、電車の乗り換えの確認で、神保町駅から出たとき、どこからか「貧困をなくそう」と訴える声が聞こえてきました。日本共産党の新春宣伝でした。
見本紙で配布していた「しんぶん赤旗」日曜版をもらうと、「公設派遣村」の大特集。入所者の声を紹介し、待遇改善や生活再建への支援強化が必要だと訴えていました。
「日本共産党なら相談に乗ってくれるかもしれない」。指定された福祉事務所のある板橋区でアパートを探そうと決め、地元の党地区委員会に連絡しました。
電話に出た人は「駅前のファストフード店で待っていてください」と。5分後、竹内愛区議が駆けつけました。不動産屋と物件回りに付き添い、緊急連絡先を引き受けてくれました。
新一さんが入居できたアパートの部屋を訪ねました。南向きの窓から日が差していました。たたんだ布団の上に座り、新一さんは「久しぶりに、ぐっすり眠れました」と話しました。
その後、福祉事務所から本籍地と住民票の所在が判明したと連絡が来ました。「よかったね。これで結婚届も出せるね」とボランティアに言われ、照れたように笑う新一さん。
「高校に通いなおして、卒業したい。職業訓練も受けたい」。新しい目標や希望がわいてきました。新一さんはいま、つらい過去を乗り越え、新しい一歩を踏み出そうとしています。
現在、新一さんは健康診断を受けたり、過去につくった多重債務の清算、ハローワークの面接などを行っています。
しばらく計画的な生活ができない境遇にあったときの習慣で、ついつい生活保護費を使い込みそうになります。ボランティアからアドバイスを受け、お金を一度に使いすぎないよう、福祉事務所で保護費を分割して受け取る手続きをしました。
ひとつずつ課題にぶつかりながら、生活の立て直しをはかる毎日です。
お悩みHunter
前向きさに欠ける私って…
Q 看護師として働いています。小中高校とイジメられていたことがあります。そのせいか、「仕事ができる自分をほめるより、できない自分を反省して次に生かすことが責任だ」という考えが根強く、周りから前向きさに欠けると言われます。神経を常に使っているので疲れることもあります。前向きな方が人生は楽しいものでしょうか?(29歳、女性)
真摯な自分をほめてあげて
A 患者さんたちの生命を支える仕事をしているあなたが、常に反省を重ねて責任を果たそうとしている真摯(しんし)な姿勢に感銘しました。
すばらしいですね、とても前向きではありませんか! そんなご自分をほめてあげてください。
看護師の仕事と聞いて、私は癌(がん)で亡くなった父のことを思い出しました。私の父は、晩年、短歌を詠むのが趣味で、末期癌のため病床に伏せながらも、創作した歌をノートに書きつづっていました。
父の死後、私は父のノートに、「看護婦さん」への恋心を詠んだ歌を発見しました。
私は当時、70歳の父の「恋歌」は、単なる創作だと思いました。
しかし、最近になって思い直すようになりました。死期を悟りながら末期癌の過酷な痛みに耐えた父は、本当に「看護婦さん」に恋していたのかもしれないと思うようになったのです。
病床にある患者は、日常的に接する看護師さんの笑顔にとても励まされるのです。
私の父も「看護婦さん」の手のぬくもりや笑顔にときめいて、折れそうになる自分の心を奮い立たせたのでしょう。そんな切ない思いを父は歌にして書き残したのだと思うのです。
今のあなたも、十分患者さんの心と体を支えていると思います。
そんな自分を丸ごと受け入れて「私が好き」と言えたときのあなたの笑顔は、もっと、患者さんの心を励ますことでしょう。
弁護士 岸 松江さん
東京弁護士会所属、東京法律事務所所属。日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会委員。好きな言葉は「真実の力」。