2010年1月27日(水)「しんぶん赤旗」

千島問題をなぜ「北方領土問題」と呼ぶ?


 〈問い〉政府やマスメディアは、千島問題を「北方領土問題」と呼んでいます。日本共産党の全千島返還要求との違いを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉千島列島は、北海道に近い国後(くなしり)、択捉(えとろふ)からロシアのカムチャツカ半島の南西に隣接する占守(しゅむしゅ)までの諸島を指します。この千島列島全体が、1855年に江戸幕府と帝政ロシアが結んだ日魯通好条約と、75年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定しました。

 これらの島と、もともと北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とを、第2次世界大戦直後に不当に併合したのがソ連でした。ですから日本共産党は、ソ連および今のロシアに対し、全千島と歯舞、色丹を返還するよう主張してきました。

 ところが日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、1951年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、56年になって「国後、択捉は千島に含まれない」との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ「北方領土」として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因ともなっています。

 そもそも日ロの領土問題は、第2次世界大戦末期の45年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦条件として千島列島のソ連への「引き渡し」を求め、アメリカとイギリスが認めたことに始まります。これは米英ソ自身が公約した「領土不拡大」という第2次大戦の戦後処理の大原則に反する行為であり、日本政府はそれを正すという大義を明確にする必要があります。具体的には、サンフランシスコ条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して堂々と全千島返還をロシアに求めるべきです。歯舞、色丹については、千島列島の返還や日ロ間の国境画定・平和条約を待つことなく、速やかな返還を求めるのが筋です。(田)

 〔2010・1・27(水)〕


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