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2010年1月18日(月)「しんぶん赤旗」

阪神・淡路大震災15年

いま「復興」を問う

巨大開発を中心に据え

生活再建は二の次


 戦後最大の災害、阪神・淡路大震災から17日で丸15年になりました。この15年間、再建住宅のローンや営業再開の借金が重くのしかかり、返済できずに破たんする例が続出し、孤独死は仮設住宅で233人、復興公営住宅で630人に達しました。多くの被災者にとって苦闘の15年でした。なぜこうなったのか。あらためて国・自治体の「復興」施策を問います。(兵庫・喜田光洋)


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(写真)下町を高層ビル群に変えた新長田駅南の「復興」再開発=神戸市長田区

 国・自治体が投じた復興事業費は約16兆3000億円。うち6割、9兆8000億円が、神戸空港建設、新都市づくり、高速道路網建設、神戸港の最新鋭整備、巨大再開発などからなる「多核・ネットワーク型都市圏の形成」という大型開発事業群、インフラ整備に注ぎこまれました。

 復興の方針を決める国の復興委員会は、「復興は単にもとの姿にもどることではありません」(同委員会報告)とし、兵庫県は「単に震災前の状態に回復するのでなく、『創造的復興』を」というスローガンを掲げました。震災を絶好の機会として、以前から計画していた巨大開発を「復興」の名で次つぎと推進したのでした。

 震災直後、神戸市の当時の助役はテレビで、神戸空港など開発計画をもりこんでいた市のマスタープラン(総合基本計画)にふれ、「このマスタープランを実行するのが震災復興。タイトルを書き換えて、今日からでも明日からでも実行する」と発言。「幸か不幸かこういうことになりましたので」と、震災を歓迎するかのようにのべました。

 巨大開発を「復興」の中心に据え、生活再建は二の次としたことが、大きなゆがみをもたらしました。自治体の借金は大幅に増え、県は、老人など医療費助成の削減をはじめ福祉を切り捨てました。再開発や区画整理は被災者を地元から追い出し、街の再建を大きく遅らせました。

個人補償拒否

 震災当時の村山内閣(自民、旧社会、旧さきがけの連立)は、「私有財産制では認められない。生活再建は自助努力で」と個人補償を拒否し、自力再建を押しつけました。これが、被災者が立ち直れない最大の要因となりました。

 被災者支援は融資しかなかったため、被災者はこれに殺到。その結果、返済の重圧を背負うことになりました。約5万6000人が借りた災害援護資金(最高350万円)は、06年に完済のはずが、いまも約1万4000件が未返済(返済中含む)。4万7000件利用があった業者むけ震災特別融資は、昨年末までに7000件近くが返済不能に陥りました。

 地域コミュニティーを壊し、「住み慣れた元の地に」という被災者の願いをふみにじったのも重大です。

 貝原俊民前知事は2002年10月、「長田なんか、人口が戻らないというような声が切実にあるわけですけれども、それでは、本当に元の状態に戻していいのかということです。…高齢者の集団を長田につくって、一体どうするのか」(『阪神・淡路大震災復興誌第七巻』所収)と、元の街に被災者を戻させず、住民を入れ替える必要性をのべています。

 仮設住宅と復興公営住宅はその多くが、郊外など被災市街地外に建設。被災者をバラバラにして不便な遠方に追いやり、孤独死の温床となりました。

運動が動かす

 一方、救援復興兵庫県民会議と日本共産党は震災直後から、公的支援・個人補償をはじめ被災者の願い実現に献身してきました。

 県民会議は、87万人が投票した公的支援実現「住民投票」や大集会、署名運動にとりくみ、日本共産党は、被災地でも国会でも個人補償実現を訴え、共同を広げました。こうした奮闘で1998年に被災者生活再建支援法が成立。全国の運動も高まり、住宅本体再建に300万円支給する同法改正(07年)が実現しました。


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