2010年1月11日(月)「しんぶん赤旗」
海兵隊いらぬ
官房長官 空から基地問題分かるか
島民ら怒りの唱和
沖縄 宮古島・下地島
「普天間基地は即時撤去せよ」「下地(しもじ)島への『移設』は許さないぞ」。米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)の「移設」先探しで迷走する鳩山政権。昨年末に民主党の小沢一郎幹事長の口から飛び出した宮古島市の下地島空港、伊江島の米軍補助飛行場への「移設」発言に住民は強く反発しています。住民の怒りを現地で追いました。(山本眞直)
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沖縄本島から南西300キロ、東シナ海に浮かぶ宮古島の離島、下地島の下地島空港。10日午後1時すぎ、怒りの唱和が響きました。相手は上空を旋回する自衛隊機。「宮古島郡民は下地島空港への『移設』は絶対に認めないぞ」
自衛隊機は航空自衛隊の多用途連絡機(U4ジェット機)。前日から普天間基地「移設」問題で沖縄を訪問している平野博文官房長官が搭乗、下地島、伊江島を上空から視察しました。「平野官房長官は空からの視察をやめろ」
とんでもない
同空港北端の進入路付近で、宮古島市民らは、「下地島空港の軍事利用を許さない」など手作りのポスターや横断幕、小旗を手に海兵隊ノーの意思を示しました。
英語でピースと書いた小旗をふる男性(38)は、下地島の豊かな自然にひかれ宮古島から近く移住して、商売をはじめようと決めています。「その矢先に海兵隊基地の候補地にするというとんでもない話が持ち上がりびっくりしている。平野官房長官はなぜ飛行機から視察か。よほど後ろ暗い気があるからだ。米軍基地なんて絶対許せない」
「下地島は無人島なんかではない」と反発するのは、島内でハーブを栽培している女性。段ボールに「米軍基地大反対 住民」と書き込んで夫、6歳の子どもと参加しました。「毎日、1町歩の畑を耕している。海兵隊が来たら暮らしていけなくなる。政府はこの空港の歴史をしらないはずはない」
下地島空港は1979年に民間航空のパイロット養成訓練飛行場として開港。その際、「民間利用以外には使用しない」との覚書が71年、79年に屋良朝苗主席、西銘順治県知事と政府の間で交わされています。
下地島空港をめぐっては、伊良部町議会(当時)が2005年に自衛隊誘致を決議したものの、町民の猛反対で同年3月に白紙撤回に追い込まれています。その一方で米軍は、2001年から普天間基地の海兵隊ヘリ、空中給油機がフィリピンでの軍事演習で補給を理由に下地島空港を強行使用するなど「中継基地」化の動きが活発化。米シンクタンクのランド研究所が下地島と伊江島の軍事利用を提言。04年には米国が「普天間基地代替施設の完成まで下地島を暫定使用したい」と日本側に提案しています。
こうした下地があるだけに、宮古島市民は政府の下地島空港の「移設先として検討」発言に敏感に反応しました。
撤去しかない
「今回の政府の動きは県民の気持ちをまったく無視している。“空港として使用されていない”と小沢幹事長は言うが違う。民間機パイロットが訓練に使っている。それを無視して軍事利用を押し付ける意図がありありだ」。下地島空港の軍事利用に反対する宮古郡民の会代表の牧師(62)はいいます。
「平野官房長官は仲井真知事に『判断をいただかなければならない時がくる』と県内移設ありきの発言をしている。危険な普天間基地は移設ではなく撤去しかない。政府が撤去を言えない背景に日米安保がある。沖縄に米軍基地を縛り続ける安保はいらない。平和は軍事ではつくれない。憲法9条こそが平和の力だ」
宮古島市議会、伊江村議会は近く臨時議会を開き、普天間基地の「移設先案」反対の抗議意見書を全会一致で可決する見通しです。