2009年12月22日(火)「しんぶん赤旗」
米軍侵攻20年のデモ
「家族失った痛み忘れない」
パナマ
【メキシコ市=菅原啓】1989年の米軍による侵略から20周年を迎えたパナマで20日、侵略を糾弾し犠牲者への補償を求める抗議行動が各所で繰り広げられました。
米国は89年12月20日、当時のパナマで実権を握っていたノリエガ将軍が麻薬取引に加担しているとして、同将軍の身柄確保と在住米国人の保護を口実に2万〜3万人の兵力をパナマに侵攻させました。
侵略の真の目的が、パナマ国軍を解体し運河地帯防衛のための米軍駐留を永続化することであったことは、その後の多くの証言で明らかになっています。
米軍はパナマ国軍司令部のあった人口密集地域チョリージョ地区を重点的に爆撃。同地区は完全に破壊され、数千人が犠牲となりました。人権団体によると、パナマ人犠牲者の数は4000人以上といわれていますが、後の歴代政権は、米国との関係悪化を懸念して侵略の被害の調査さえ怠ってきました。
首都パナマ市では、経済社会権利擁護国民戦線(FRENADESO)に結集する労働組合、人権団体の代表ら数百人が市内の旧米大使館前で集会を開催。政府による犠牲者の調査開始を強く要求しました。
犠牲者の家族らが市内中心部のバルボア大通りを行進。「家族を失った痛みを決して忘れない」と叫び、米国に対して補償を要求すると、通過する車から連帯のクラクションが鳴らされました。