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2009年12月2日(水)「しんぶん赤旗」

沖縄返還費用の密約証言

日本政府の卑屈さ浮き彫り

外務省は全容明らかに


 「大きな歴史の陳述に貢献したか分からないが、私の記憶が確かであれば、真実を語ったつもりだ」―。91歳の吉野氏は記者団に感慨深く語りました。吉野氏は国会で密約の存在を隠してきたことについて「うそをついてきた」と認め、自らの良心に従って証言しました。

 吉野氏が沖縄返還費用に関する密約にかかわっていたことは、すでに同氏が2006年1月に政策研究大学院大学の「オーラルヒストリー」で明らかにしており、その後も複数のメディアで証言しています。

 今回、裁判所という公の場で証言を行ったことで、密約に彩られた日米安保体制の姿の一端が当事者の口によって公にさらされたことになります。

 吉野氏の証言からは、アメリカの強圧的な姿勢と、それに対する日本側の卑屈な姿勢があらためて浮き彫りになりました。

 もともと、アメリカが不当に占領していた沖縄を返還するにあたり、日本側が3億2000万ドルという巨額な費用を支払うこと自体、世界でも類例のない事態です。これについて吉野氏は、金額については大蔵省の主導で決められ、外務省に提示された時は「支払う必要はない」と、一度ははねつけたといいます。

 しかし、「アメリカの財政事情が悪くなり、米議会で、ぼろもうけをしている日本がお金を出さないのなら沖縄を返さなくてもいい、という声が出ていることが伝わってきた」と述べ、結局は容認に転じた経過を明らかにしました。

 さらに、この3億2000万ドルという金額は、一応の費目は示されていたものの、実際は「アメリカのつかみ金」(吉野氏)であり、何に使ったのか後で検証不可能なものでした。従って、「核兵器撤去費用」として計上されていた7000万ドルから捻出(ねんしゅつ)された補償費400万ドルについても、「実際はどう使われたのか分からない」といいます。

 加えて、吉野氏の証言は沖縄返還費用にかかわる密約のごく一部にすぎないことに留意する必要があります。

 沖縄返還協定で正式に日本側負担が合意された3億2000万ドルのほかにも、(1)米中央銀行への無利子預金に伴う1億2000万ドルの利益提供(2)沖縄と本土の米軍施設改修費6500万ドル(3)基地従業員の労務費1000万ドル―を提供する秘密合意があります。これらは、その後の米軍「思いやり予算」の原型にもなっています。

 吉野氏がかかわった密約は、その後の際限のない在日米軍に対する財政負担要求のとびらを開いたものといえます。

 外務省は、吉野氏の証言を受け止め、来年1月に出される日米密約に関する報告書で、その全容を明らかにすることが求められています。(竹下岳)


元外務省アメリカ局長の吉野文六氏の陳述書

(要 旨)

 東京地裁に証拠として提出された、元外務省アメリカ局長の吉野文六氏の陳述書の要旨は次の通りです。

 1971年にアメリカ局長に就任してから、沖縄返還の詰めの交渉を担当したのですが、日本側には本来アメリカが負担すべき費用を日本が出費することは困難となっていた一方、アメリカ側も沖縄基地関係での出費は議会を通過しない状況でしたので、のちに発生したラジオ局「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)の移転費用(1600万ドル)や土地補償費(400万ドル)について、どちらがどのように負担するかという点が問題になったのです。

 米軍が使用していた土地について補償するためにかかる費用として400万ドルを日本が負担するという(密約)文書(覚書)の左下のBYというイニシャルは私が書いたもので間違いありません。

 この補償費なるものは、沖縄が返還されるまでの間、アメリカが軍用地を地主に返還する際に原状回復費用として支払ってきたものでした。しかし、アメリカ議会のなかには、沖縄返還について好感を持っていない議員がいたうえ、ベトナム戦争によって財政がひっ迫した状況下では、さらなる補償費の支払いについては到底承認されない状況でした。

 日本側も補償費については、従前からアメリカが支払ってきた関係で、返還前に発生したものを負担することは困難でした。特に、佐藤首相が「沖縄は無償で帰ってくる」と発言していましたので、日本がアメリカに代わって支払うということは難しかったのです。

 ところが、予算を出す大蔵省の柏木雄介財務官から、日本が負担することで処理をしてほしいと要請されたのです。

 そもそも、大蔵省の主導で決まっていた沖縄返還に伴う日本側の負担のうち、返還協定に盛り込まれることが決まっていた日本のアメリカに対する支払額は3億2000万ドルでしたが、そのうち7000万ドルは核撤去費用でした。核撤去のためにそんなに費用がかかるはずがなく、これはアメリカが自由に使えるものでした。したがって、その7000万ドルの一部を補償費の400万ドルに充てることは予算面では何の問題もないことだったのです。つまり、日本が渡した3億2000万ドルの一部400万ドルをアメリカが沖縄の市民への補償費に充てればよいのです。

 こうして、日本政府が対内的には3億2000万ドルには補償費は入っていないと説明しつつ、アメリカは議会を秘密会にして開催し、(返還協定にはアメリカが補償費を負担するとなっているが)、実際には日本が負担すると説明することになりました。愛知揆一外務大臣も日本側が負担することを承諾しました。

 覚書は1971年6月12日、外務省本省の局長室で署名したと思います。

 VOAの移転について合意された文書も、私とスナイダー公使が署名したものです。VOAに関する交渉は大変でした。日本には電波の自主権がありますから、外国の放送局を沖縄に残すわけにはいかなかったのです。そこで5年後には移転するように交渉したのですが、アメリカ側はなかなか承諾しなかったのです。交渉成立後も、アメリカは移転先について数カ国と協議して、なんとかフィリピンにお金を出して承諾させたと聞いています。

 実は、VOAは単なる放送局ではなく、諜報(ちょうほう)機関なのです。スナイダー公使は当時、対岸の中国の兵隊の靴音まで聞こえるのだと言っていました。結局、移転費用として1600万ドルを限度に日本が負担することで決着したわけです。この文書については、6月11日に局長室で署名しました。



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