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2009年10月24日(土)「しんぶん赤旗」

中越大震災5年

この古里で生きる

山古志で復興誓う


 死者68人、住宅損壊12万棟の被害を出した2004年10月の新潟県中越大震災から5周年の23日、震災で大きな被害を受けた長岡市山古志地域で追悼式が行われました。


 追悼式の会場となった旧山古志役場前の広場には、「挑戦 愛するふるさとを守ります」「誓い 私たちは山古志で生きます」などの垂れ幕が掲げられ、夕暮れになると竹筒でつくったキャンドルに明かりがともされました。

 遺族や被災者らが、地震発生時刻の午後5時56分に、「希望の鐘」の音を合図に犠牲となった68人に1分間の黙とうを行い、震災からの復興を誓い合いました。

 泉田裕彦知事が「全国から支援をいただいたおかげで、新潟県は一歩一歩、復興の歩みができている。まだ苦しんでいる人困っている人もいると思うが、見落とさないよう、いっしょに頑張っていきたい」とあいさつしました。

 山古志小中学校の生徒らが、子どもたちの文集から生まれた曲「ありがとう」、阪神・淡路大震災の復興の中からうまれ神戸市で歌われた「幸せ運べるように」の2曲を合唱。「たくさんの人と出会い、心を支えていただいたことをけっして忘れません。愛する山古志のために何ができるか考えます」などと語りかけました。

長岡市で合同追悼式

 新潟県長岡市では同日午前、県と7市町による合同追悼式が行われました。遺族31人を含む関係者約650人が参列し、復興への誓いを新たにしました。

 合同追悼式では、数千本の白い菊で作られた祭壇の中央に、亡くなった人の数と同じ68本のろうそくが飾られました。

 1分間の黙とうの後、泉田裕彦知事が「被災地が震災前より元気に、豊かに、そして安心して暮らしていける地域へと再生するよう、復興への歩みを着実にすすめてまいります」とあいさつしました。

 献花のあと、参加者全員で童謡「ふるさと」を合唱しました。

 自宅の崩壊で当時11歳の長男を失った小千谷市塩谷の男性は、「自宅を再建して2年たち、ようやく新しい家に慣れたところです。この5年間はいろんなことがあり、無我夢中だった。そのなかでも亡くした家族への気持ちは変わらないし、一日たりとも忘れたことがない」と語りました。

 追悼式には日本共産党の地方議員も参列。竹島良子県議は「被災者の方々は5年たって生き生きと頑張っておられる半面、高齢化も進んだことで、これからの生活面で不安を感じておられる方も多くいます。集落と生活が持続できるようこれからも支援が必要です」と話しています。

 地震では、川口町で最大震度7を記録。県内の仮設住宅にはピーク時2935世帯、9649人が入居しました。


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