2009年10月15日(木)「しんぶん赤旗」
主張
5海峡の自由通航
「核密約」たてに米側が圧力
日本が領海法をつくるさい、米艦船が核兵器を積んだまま日本の五つの海峡を自由通航できるようにしたのは、日米「核密約」をたてにした米国の圧力によるものだったことが判明しました。
国際問題研究者の新原昭治氏が入手した米解禁文書は、米国が核戦略を維持するために、海峡の自由通航を保障するよう圧力をかけ、日本政府がこれに応じていく様子を明らかにしています。領海法をつくりながら5海峡は例外とさせた「核密約」の異常をただしていくことが重要です。
非核三原則との矛盾
領海幅を12カイリとする世界的趨勢(すうせい)のもとで、日本は1977年に領海幅を12カイリとする領海法を制定しました。しかし、宗谷、津軽、対馬海峡東水道、同西水道、大隅の5海峡については、「当分の間」は3カイリとする例外を残しました。
領海を12カイリにすると、5海峡のほとんどがまるごと領海となります。国連海洋法条約は領海内では潜水艦は浮上を義務付けています。日本では非核三原則があるため核兵器を積んだままでは領海通過はできません。そのため日本政府は、領海部分を少なくし、潜水艦が自由通航できる海峡部分を確保するために3カイリにしたのです。
この例外措置によって、米潜水艦は、日本海・オホーツク海と太平洋との間を潜航して自由に通航できるようになりました。公海のままにしておけば非核三原則の適用も受けずにすむからです。
74年6月の海峡の自由通航の保障を求めた米政府の覚書は、「海峡通過や上空飛行で妨げられない通航を保護しない海洋法は、受け入れることができない」とのべています。核兵器を積んだ米艦船が世界のどこにでも自由に展開し、核兵器を背景にした外交を進めることを米軍が基本にしているためです。「潜航航行が何らかの形で法的に制限されてはならない」といい、領海法にもとづいて12カイリを適用するなと日本に圧力をかけたのはそのためです。
米軍が日本の領海法の内容にまで口をはさんだのは、60年安保条約改定時の日米「核密約」があるからです。「核密約」は旧安保条約下と同じように、核兵器を積んだまま米艦船が日本の領海を通過することを認めています。米軍がこの「核密約」をたてにして、日本に自由通航を押し付けたことは明白です。領海法をゆがめてまで米軍の不当な要求に従った日本政府の責任は重大です。
日本共産党は、領海法制定時、5海峡の領海幅を12カイリにすれば「非核三原則と抵触する可能性がある。それを突かれたら困るから3カイリにしたのではないか」(77年4月21日衆院農水委員会、日本共産党・正森成二議員=当時)と追及してきました。米解禁文書はこの指摘を裏付けたのです。
3カイリの例外規定やめよ
領海法は付則で、「当分の間」、5海峡については3カイリにすると規定しています。領海法制定から30年もたつのに、いつまでも例外扱いを続けるのは異常です。領海を12カイリに広げ非核三原則を守らせることは、日本の非核化を願う国民の要求にも合致します。
領海法の付則の規定を廃止し、12カイリの設定と非核三原則の適用に向かうことが不可欠です。不当な日米「核密約」は根本からただすことが重要です。
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