2009年9月8日(火)「しんぶん赤旗」
障害者も安心の社会を
自立支援法訴訟の第1回口頭弁論
東京地裁
障害者自立支援法によって導入された応益負担の取り消しなどを求めた東京での訴訟の第1回口頭弁論が7日、東京地裁で行われ、原告側が意見陳述しました。
原告弁護団の竹下義樹弁護士が、医療・福祉制度による支援をより多く必要とする障害者ほど重い自己負担を強いられる応益負担によって、障害者の「自立と社会参加」が阻害されていることを告発。重度障害者にとって介助は生命の維持に必要なのにそれを利益として自己負担をしいることが福祉といえるのかと訴えました。
藤岡毅弁護士は、自立支援法は憲法13条の個人の幸福追求権、14条の法の下の平等に違反し、25条の生存権を侵害することを、過去の判例もおりまぜて説明。障害があっても安心して暮らせる社会をつくることが訴訟の目的だと述べました。
黒嵜隆弁護士は映像も使って、▽障害程度区分導入で必要な支援が受けられない▽現実離れした就労支援システム▽地域間格差の発生▽事業者経営の不安定化などさまざまな問題点を指摘しました。
知的障害のある男性原告(36)の母(64)が、訴訟に立ち上がった思いを語りました。
口頭弁論の後、報告集会が開かれ、約300人が運動の前進を誓い合いました。
原告の母が意見陳述
“生活崩されもう限界 実態見てほしい”
知的障害のある男性原告の母の口頭弁論での意見陳述の内容(概要)を紹介します。
息子の障害がわかったのは3歳のときです。「うちの子に障害なんてない」と最初は事実を受け入れることができませんでした。息子が5歳のとき障害児の通園施設に通うことになり、徐々に覚悟ができました。「いつかは息子を人に託さなければならない時がくる。人から少しでもかわいがられるようにしよう」。洋服のボタンのかけ方、店のものはお金を払ってからでないと食べたらだめ―。必死で教えました。
私は息子が20歳のときに離婚し、生計を維持するために働きに出ました。仕事と息子との生活の両立は困難を極め、息子が22歳の時にやむなく認可施設に入所させました。ところが2年もたたず、息子はストレスで目はつり上がりほおはこけてしまいました。
息子が30歳のとき、私の信頼する人が生活寮をつくりそこに入所することができました。通所施設にも通い月2000円の工賃ももらえるようになり笑顔も出るようになりました。
貧しいながらも希望が持てる生活になりました。
その矢先に自立支援法で再び不安な生活に戻されてしまいました。1カ月で2万4600円の応益負担が必要になりました。
生活の見通しが崩されました。今までがむしゃらに頑張ってきましたが限界です。裁判所に障害者と家族の実態をきちんと見ていただきたいと願っています。
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