2009年8月4日(火)「しんぶん赤旗」
核密約と手を切り「非核の日本」の実現を
社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く
第2回 50年間、密約をひた隠して
池田答弁が米政府に衝撃
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――4人の元外務次官の証言で、3人までが63年の「大平・ライシャワー会談」に言及していますが…。
不破 これは、当時、表には現れませんでしたが、日米政府間の「危機」といってもよい事件が起きていたんですよ。
問題は、岸内閣が、これだけ重大な密約をアメリカと結んでおきながら、次の池田内閣にこれを引き継がなかったことから起こった危機でした。
経過をいいますと、米国から63年に原子力潜水艦の日本寄港について申し入れがありました。池田勇人首相はオーケーの返事を出したのですが、国会での質問に答えて、首相と防衛庁長官が、“核兵器を積んだ艦艇や飛行機の立ち寄りは、かならず事前協議に付せられるべきだ”“日本政府は核兵器を積んだ艦艇の日本寄港は認めない”という答弁を、こもごも繰り返したのです。
米政府は、これを聞いてびっくりしました。翌年にはベトナムで戦争を始める、そういう時期ですから、日本の基地が使えない事態になったら大変です。それでケネディ大統領が、外交、軍事、安全保障などの幹部を集めて、緊急会議を開くのです。
あれだけ準備して知恵を絞って密約を結んだのに、いったいどうなっているのか。現在の日本政府がそもそも密約を知っているのか。それが議論になり、結局、ライシャワー駐日大使に、事態の真相を確認させることになりました。
この時、米政府が大使に与えた任務は、(1)大平正芳外相が密約を知っているかどうかを確かめる(2)池田首相の言明が密約と矛盾していることを理解させる(3)国会での今後の物の言い方について相談する、の三つでした。
米政府からこの指示を受けたライシャワー氏が、大平氏を招いて会談したのは、4月4日でした。
「大平はうろたえなかった」(ライシャワー)
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――会談での大平氏の反応は?
不破 ライシャワー氏は詳しい報告の電報を打っていますが、そこで、「秘密の討論記録の存在自体、大平氏には明らかにニュースだった」と述べています。しかし、彼は「少しもうろたえなかった」そうです。その上で、密約のテキストを2人で見ながら相談し、大平氏が「イントロデュース」(持ち込み)と「エントリー」(立ち入り)の区別をよくのみこんだと。こうして、基本的な理解ができあがったのだから、日本側が今後「持ち込み」という言葉を使ってどんな発言をしても、アメリカとして気にする必要はない、と述べています。
大平確認以後は、どんな政府答弁も平気で聞き流す
――59〜60年には日本側は理解不十分のまま密約を結んだが、63年の大平・ライシャワー会談で、日本政府は、密約の意味をよくのみ込んだ、というわけですね。
不破 佐藤栄作首相が67〜68年に国会答弁で「非核三原則」を提唱しました。これは、池田首相の場合のように、個々の軍艦の寄港うんぬんではなく、「核兵器を持ち込ませない」ということを国の大原則とするものですから、池田答弁よりは、はるかに重い話です。
ところが、米国側が、この発言を問題にしたことは一度もない。それは、「非核三原則」を認めたり尊重したりしているからではなく、63年会談で、核密約を守るという日本政府の意志を改めて確認してあるからなんです。“言葉で何をいおうが、日本政府の真意は確かめてある。だから気にする必要はない”というわけですね。
外務官僚が首相を「選別」してきた
――63年会談以降、日本政府内では外務官僚が核密約を管理して、首相や外相には「選別」して伝えていた、といいますね。
不破 報道などを総合すると、外務省でも、条約局と北米局の中心メンバーは密約を知っている、他の部署の人でも外務次官になると知らされる、そんな仕組みがあるようですね。ある次官によると、政治家は機密が守れない心配があるから、首相・外相は「僭越(せんえつ)ながら選別させてもらっている」という話でした。
これは、国のあり方として、大問題です。密約でも、ともかく政府と政府の協定です。それを官僚だけが管理する。しかも、政府の最高責任者である首相や外交の責任者である外相を選別する。「選別」の基準は“口の軽さ、重さ”に加えて、密約体制に異を唱えない“素直さ”があるようですが。首相・外相のなかで自分たちのめがねにかなった人物にだけ密約の存在を知らせる、こんなことが横行している国は、世界にも例がないんじゃないですか。
米側の公開後も日本では「密約」
――不破さんは、国会で何回も核問題をとりあげましたね。
不破 日本に核兵器を持ち込んでいたというラロック提督の証言(74年)や、日米間の取り決めについてのライシャワー元大使の証言(81年)が問題になったころから、艦艇による核兵器の持ち込みや、それを認めた密約の問題について、何回も国会で追及してきました。答弁したなかには、密約の存在を知らされていた首相・外相もいれば、知らされなかった人もいたと思いますが、結局、すべての答弁を、外務官僚の中枢が管理していたわけですね。
2000年の党首討論は、米国の国立公文書館で密約のコピーなど一連の政府文書が手に入ったので、それを研究し、きょう話した仕組みなど密約の全貌(ぜんぼう)をつかんだ上で質問したのでした。質問の席でいきなり米側文書をぶつけるのではなく、あらかじめ主要な文書は政府側に渡して、十分な検討を求めた上でのことでした。
こちらの気持ちとしては、政治家として責任ある討論をするため、誠意を尽くしたつもりでしたが、答えは、米側の公開文書であろうと、日本政府が責任を負えない文書だ、密約は存在しないのだから、調査するつもりもない、といったふまじめな答弁で、率直にいってあまりのことに呆(あき)れさせられました。
最近の証言によると、このとき答弁に立った小渕恵三首相は、密約を知っていた首相の一人だったわけです。自民党政治も、それを支える外務官僚も、アメリカとの秘密の従属関係を隠すためには、国会と国民を平気でだます、こういう集団だということを天下に暴露した質問戦でした。
なにしろ、米政府が密約文書を公開し、その文書が国会で突きつけられても、「そんなものは存在しない」と言い張るのですから。日本政府だけの「密約」ということですよ。(つづく)
- 連載
- 第1回 これが核密約だ
- 第2回 50年間、密約をひた隠して
- 第3回 名実ともに「非核日本」の旗を
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