2009年7月25日(土)「しんぶん赤旗」
09総選挙
共産党 国民の利益にたって自公の悪政とたたかう
「自公政治を一刻も早く終わらせ、政治を変えたい」。総選挙を前に、国民の多くがこんな思いを募らせています。
いくら働いても貧困から抜け出せない年収200万円以下の「ワーキングプア」(働く貧困層)が1000万人を超えて広がり、毎年2200億円もの社会保障費削減で医療、介護、年金といった国民の命綱はズタズタ。米オバマ大統領の核廃絶発言にみられるように、世界は大きく変わっているのに、日本の政権だけが海外派兵と軍事対応ばかりに熱中する…。
国民がこんな政権に見切りをつけるのは当然です。
1999年に自公政権がスタートして、今年で10年。この間、日本共産党は、雇用、社会保障など暮らしと平和のどの問題でも、国民の利益にたって自公政権と対決してきました。前回総選挙以降では、小泉、安倍、福田、麻生の4代首相に真っ向から論戦を挑み、その論戦力はメディアでも「一番の優等生」「インパクトは強かった」(『週刊朝日』2008年7月11日号)などと注目され、与党幹部からは「憲法問題は自共対決だ」という声が聞かれるほどでした。
総選挙でこの党を伸ばすことが、自公政権を退場に追い込む決定的な「審判」になる―その軌跡を振り返ります。
海外派兵
戦争国家づくりに反撃
自主・自立の平和外交提起
自公政権の10年間は、「海外で戦争する国」づくり―日米同盟の地球規模化と自衛隊海外派兵の拡大、憲法9条改悪の動きが急激に進むと同時に、それらが国民的反撃で行き詰まり始めた時代でした。
自公政権は2001年9月11日の米同時多発テロ後、「テロとの戦い」を口実にインド洋へ派兵するなど、「戦争国家」づくりに着手。03年には戦後初めて、自衛隊を戦地イラクに派兵しました。さらに自衛隊法を改悪して海外派兵を本来任務化し、防衛庁の「省」昇格を実施。銃撃戦まで想定した「海賊対処」派兵法も強行しました。
日本共産党は「9・11」の1週間後に、「軍事力による報復ではなく、法による裁き」を求める書簡を各国政府首脳に送りました。各地で結成された「九条の会」とも共同し、海外派兵を許さないたたかいを全国に広げ、08年4月に名古屋高裁でのイラク派兵違憲判決を勝ち取る力にもなりました。
ブッシュ前米政権の先制攻撃戦争は破たんし、自衛隊は昨年末までにイラクから完全撤退。道理ある立場を示してきたのはだれか。今では明白です。
民主党はどうか。安保・外交分野では自民党との「同質・同類」ぶりが目立っています。03年には自公政権が提出した有事法制に賛成。党として派兵恒久法制定を提案したり、9条改悪の「憲法提言」をまとめてきました。
同時に民主党は、日本の軍事的役割の拡大に反対する国民世論を前に、国会では一連の海外派兵法に反対してきました。その結果、07年11月には旧テロ特措法が廃止され、自衛隊がインド洋から一時帰還しました。しかし政権獲得後にはインド洋派兵を継続する立場を示しています。
今度の総選挙で、自公政権が進めた海外派兵・9条破壊路線に決定的な審判を下し、「戦争国家」づくりを終わらせるためにも、国民とともに海外派兵に反対し、9条を生かした「自主・自立の平和外交」への転換を主張する日本共産党の前進がどうしても必要です。
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改憲
自公・民主が競う改憲
草の根と結び阻む力に
自公政治は民主党と競い合いながら、憲法改悪の策動をより危険な段階に進めました。
05年には、自民党が「自衛軍」保持を明記した「新憲法草案」を決定。民主党も9条2項を削除する方向を示した「憲法提言」をまとめました。
07年には安倍首相(当時)が「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「任期中の改憲」を公言するもとで自公は改憲手続き法の成立を強行し、同年夏の参院選で改憲を争点に掲げる姿勢を示しました。
この参院選を前に、当時の中川秀直・自民党幹事長が「憲法問題は自共対決だ」とブログに書いたように、憲法改悪の動きに真正面から対決してきたのが日本共産党でした。
改憲手続き法でも、民主党が途中まで自公と共同修正案づくりを進めたのに対し、「9条改憲の条件づくり」だと反対の論陣を張りました。与党単独採決のとき、自民党の船田元衆院議員は「戦友を失った気持ち」と発言。一方、中山太郎衆院憲法調査特別委員長は「共産党がいなければもっと早くできたのに」と述べました。
日本共産党は、04年6月に「九条の会」が発足するといち早く、「(「九条の会」の)呼びかけにこたえて憲法を守る国民運動を広げよう」と訴え、運動の発展に尽力。全国で7000を超える草の根「九条の会」がつくられ、憲法守れの方向へ世論を大きく変えてきました。
改憲勢力は自公民共同の動きを再構築しようと08年3月、「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘元首相)を再編。自民党の伊吹文明幹事長と民主党の鳩山由紀夫幹事長(いずれも当時)が顧問に就任しました。「議員同盟」幹事長の愛知和男氏は「『九条の会』と称する勢力が全国に組織づくりを進めていて、対抗するには地方組織をつくることが今後の焦点だ」と「九条の会」への対抗心をむき出しにしました。
「議員同盟」の関係者は「山奥で突然『九条を守ろう』という大看板に出くわし驚く。ものすごい力だ」とこぼしました。
増税
「逆立ち」税制ただせ
大企業に応分負担求める
庶民には増税、大企業や大資産家には減税―。これが、自公政権がとってきた税制です。日本共産党は「逆立ち」税制をただせと正面から対決してきました。
自公政権は、約3・3兆円の大増税となる所得税・住民税の定率減税の縮減・廃止(06年半減、07年廃止)をはじめ、高齢者の年金増税など庶民への大増税路線に踏み出しました。
日本共産党は「かぜと診断しておいて、布団をはがすような話ではないか」「家計の所得が減っている時期に、増税路線に踏み出したことが、戦後一度でもあったのか」(志位和夫委員長、05年2月3日の衆院予算委員会)と、増税計画の中止を求めてきました。
年金財源を口実にした庶民増税に対し、日本共産党は、税収のごく一部しか年金財源に充当しなかったばかりか、同じ口実で消費税増税まで狙っていると批判。「1枚の証文で2回借金をとるやり方は許されない。国民への約束違反だ」(小池晃政策委員長、09年6月4日の参院厚生労働委員会)と厳しく迫ってきました。
一方、自民党は一貫して大企業・大資産家減税を推し進めてきました。法人税率の引き下げや研究開発減税の導入、証券優遇税制など、98年度以降の10年間だけでも、減税の規模は累計で40兆円超に達しています。
日本共産党は、大企業や大資産家にこそ応分の負担を求めるべきだと主張。減税や優遇税制を改めれば7兆円以上の財源が確保でき、消費税増税に頼らなくても、社会保障の財源はできると訴えてきました。
民主党は、企業の国際的な競争力などを踏まえ「法人税率を見直していく」(「税制抜本改革アクションプログラム」、08年12月24日)と主張。証券優遇税制については、「環境が整備できるまでの間、現行の優遇税制を延長する」(同)と、大企業・大資産家優遇を推進。消費税増税についても、時期は別にして必要だという立場です。
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雇用
非正規切りの無法告発
大企業に直談判
失業者が347万人に達し、非正規労働者の解雇が政府発表でも22万人以上(昨年10月〜今年9月)にのぼるなど深刻な雇用危機をつくりだしたのは、労働者派遣法など労働法制が改悪され、雇用保険などセーフティーネットもズタズタにされてきたからです。
派遣を自由化
とりわけ派遣労働を原則自由化し、「使い捨て労働」に拍車をかけたのが、1999年の派遣法の改悪でした。これには自民、公明、民主、社民の各党が賛成。反対したのは日本共産党だけでした。
小泉内閣の2003年に製造業にまで解禁された際も、日本共産党は厳しく反対しました。これは、正社員を派遣などに置き換えて大もうけし、使い捨てるという財界・大企業の雇用戦略(「新時代の『日本的経営』」、95年)にこたえるものでした。
「非正規切り」に対して日本共産党は、日本経団連やトヨタ、キヤノンなど大企業と直接会談し、雇用を守る社会的責任を果たすよう求めてきました。
ユニクロの柳井正会長は新聞紙上で、「首相や自民党の人がいくべきだった」と発言(5月15日)。本来なら政府がやるべき仕事を日本共産党が果たしていることを認めるものでした。
日本共産党は、現行法を活用して雇用を守らせる論戦を展開し、「“非正規切り防止”通達」(昨年12月9日)や、偽装請負を派遣期間に通算する答弁(2月4日、志位和夫委員長の国会質問)などを勝ち取ってきました。
これらは、泣き寝入りせず立ち上がった労働者による労働局への申告や団体交渉などが全国に広がり、直接雇用や正社員化を実現する大きな力となりました。
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抜本改正提案
07年12月には、他党に先駆けて製造業への派遣の全面禁止など抜本改正案を提案。今では民主党も製造業への派遣の原則禁止に踏み出すなど、派遣法改正のたたかいをリードしています。
これは、労働法制の改悪に一貫して反対し、企業献金とは無縁の政党だからできることです。雇用保険などの改善はいうものの大本にある大企業の雇用破壊をやめさせる姿勢がない与党や、大企業の横暴にきっぱりものがいえない民主党とは際立った違いです。
連合で講演などもするロンドン大学名誉教授のロナルド・ドーア氏は、「(非正規労働者の)不満をくみあげて」いるのは、「天下をとるつもりでいる民主党でなくて、共産党だけである」と新聞紙上(4月19日)で語っています。
社会保障
毎年2200億円削減に抗し
生存権守る論陣
自公政治のもとで、無慈悲に切り捨てられたのが社会保障でした。「『増税をしてもいいから、必要な施策をやってくれ』という状況になってくるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」(06年の経済財政諮問会議)とまでいってのけた小泉純一郎首相(当時)のもとで、社会保障費の毎年2200億円削減方針が決められ、医療・年金・介護・障害者福祉などあらゆる分野がズタズタにされました。
高齢者を差別
医療費削減を最優先とした自公政冶の下、深刻な医師不足、相次ぐ公立病院の統廃合など、「医療崩壊」と呼ばれる事態になりました。なかでも、06年に強行された後期高齢者医療制度は、75歳という年齢で区切るという世界でも例のない差別医療制度です。わずかな年金からも保険料を「天引き」する制度とあわせ、国民的怒りを呼びました。
日本共産党は00年、改悪健康保険法にこの制度の原型が盛り込まれたときから、唯一反対を貫きました。青天井となる保険料、差別医療の中身などを次々に明らかにし、「朝日」コラムは「後期高齢者医療制度の問題点を粘り強く訴えてきた共産党」に「敢闘賞」と書きました。共産党の論戦は、野党共同で提出した後期高齢者医療制度廃止法案の参院通過の大きな力となりました。
00年、04年と相次いだ年金の改悪でも、「100年安心」のウソを暴露。14年連続で保険料を引き上げながら、自動的に給付水準を引き下げる仕組みを徹底追及し、政府も「100年安心」の看板を取り下げざるを得なくなりました。
原則に反する
「構造改革」で、社会保障の原則に反する応益負担が持ち込まれたのが介護と障害者福祉の分野でした。
日本共産党は、介護保険法の成立(1997年)のときから、「保険あって介護なし」になってはならないと、国の責任の強化を求めてきました。
軽度者からサービスをとりあげ、施設の食費・居住費を自己負担にする05年の大改悪には、民主党も「あるべき介護保険制度へと一定の前進」と賛成するなか、「尊厳ある暮らしが送れない」と厳しく批判し、反対を貫きました。
障害が重いほど自己負担が増える障害者「自立」支援法にも強く反対。実態調査も行い、「生存権に反する」と撤回を求める論陣を張りました。障害者らの空前の運動が広がり、今や政府が形の上では「応益負担」の看板を下ろすところまで追い込んでいます。
「小泉旋風」が吹き荒れた当時、民主党は「改革のスピードを競い合うのは、やぶさかでない」(01年、鳩山由紀夫代表=当時)と「構造改革」を後押ししました。日本共産党は生存権の保障を主張し、自民党政治に対して一貫してもっとも果敢にたたかってきました。
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子育て支援
母子加算の復活 保育予算増額を
「子育て支援」「待機児解消」のかけ声とはまったく逆に、子育て世代にもっとも冷たい仕打ちをしてきたのが、自公政治です。
例えば、生活保護のひとり親世帯に支給される母子加算。母子家庭の「命綱」であるこの制度を、自公政権は05年から段階的に削減、今年4月には全廃してしまいました。10万を超える世帯が影響を受けています。
日本共産党は、一貫して、廃止・削減に反対。野党共同で復活法案を提出し、今年6月、参院通過させました。
母子家庭122万世帯の7割が受給する児童扶養手当では、02年に最大半額まで減らす法案が、民主党も賛成して強行されました。日本共産党は、国会で撤回を迫り続け、07年の参院の敗北を受けた与党は、児童扶養手当削減の「凍結」を表明せざるを得なくなりました。
保育はどうか。自公政権の“待機児童ゼロ作戦”の実態は、定員以上の詰め込みと営利企業の参入、常勤保育士にかわるパート保育士の導入でした。
国の予算に占める保育所運営費の割合は99年の0・45%が08年には0・39%に減少。同じ期間に認可保育所の数は2万2275カ所から2万2909カ所へと微増にとどまっています。
日本共産党は、国の責任で保育予算を増やし、認可保育所を抜本的に増設することを要求してきました。