2009年7月7日(火)「しんぶん赤旗」
大阪 ポストドクター過労死裁判
研究者の使い捨て許さない
支援の輪広がる
田辺製薬(現田辺三菱製薬)の契約社員研究者だった男性(当時32)=大阪市淀川区=の通勤途上での急死を、過労死認定するよう求めている裁判が大阪高裁で続いています。博士課程修了後、安定した研究職につけず、短期雇用、低賃金という劣悪な環境に置かれている「ポストドクター」(博士課程修了後の非常勤研究員)の業務の過重性を問う全国初の裁判として注目され、支援が広がっています。(浜島のぞみ)
この男性は中国人の苗登明(みょう・とうめい)さん。京都大学大学院農学部の博士課程を修了後、1995年5月、田辺製薬に一年間の契約社員として入社。抗がん剤開発の研究チームの一員でした。帰宅は連日、午後10時すぎ。疲労困憊(こんぱい)の状態で、10月上旬の人間ドックでは心電図異常を指摘されました。
路上で倒れた
95年12月20日朝、苗さんは自宅から駅に向かう路上で倒れ、病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。「虚血性心不全の疑い」でした。
96年5月、苗さんの妻は、大阪の淀川労基署に労働災害申請しましたが、業務外とされ、労働保険審査会への審査請求も棄却。再審査請求も棄却されました。2005年8月、妻は、過労死認定を求める行政訴訟を大阪地裁に起こし、同年12月には会社を相手どって損害賠償請求訴訟を起こしました。
行政訴訟で大阪地裁は今年1月、請求を棄却。妻は控訴し、大阪高裁で争っています。
岩城穣弁護士は「会社にタイムカードはなく、自己申告による就業表があるだけ。苗さんは帰宅後も論文を読み、週末には卒業した大学院の実験室に行って勉強するなどしていた。精神的負荷も強かった」と話します。
1991年に始まった「大学院重点化政策」で、国立大学の大学院生と博士課程修了者は急増しました。予算が不十分なため、教育・研究環境が悪化。一方で若手研究者の就職難の激化を招きました。96年からの「ポストドクター等一万人支援計画」は、あふれた博士課程修了者の多くがプロジェクト型の短期雇用というのが現状。支援制度として破たんしています。
不安定な身分
「田辺製薬契約研究員、苗登明さんの過労死裁判を支援する会」が6月19日、京都市内で結成されました。会長に選出された宗川吉汪・京都工芸繊維大学名誉教授は「不安定な身分であることも、正規の研究者になるために頑張らなければという気持ちに拍車をかけたにちがいない」と述べ、「研究者の使い捨て」が生んだ悲劇だと指摘します。
苗さんの妻は語ります。「夫が亡くなって半年後に長男が生まれました。まじめに生き、人の倍働いていた人がなぜ死ななければならなかったのか強い怒りを感じます。2人の子どもにはお父さんが立派な研究者だったことを伝えたい。日本では命が粗末に扱われない国だということを伝えたい。人間の尊厳を重視する社会にしていきたいと思います」
「支援する会」事務局 大阪過労死を考える家族の会(あべの総合法律事務所内)06(6636)9361
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