2009年7月7日(火)「しんぶん赤旗」
不破・中曽根対談で浮かび上がった
日米核密約の真相
中曽根元首相、日本への核持ち込みを認める
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『サンデー毎日』の不破・中曽根対談で中曽根康弘氏が、核兵器を搭載した米軍艦船が「安保条約の下、(日本への)領海通過や一時寄港もあり得ると考えるのが常識」「米国の艦船が日本に入る時だけ核を外すなど考えられない」と述べ、日本への核持ち込みの可能性を認めていることが注目されます。
中曽根氏は、「政府の非核三原則(持たず、つくらず、持ち込ませず)については、その実態と形式的な表現や国会における答弁が、ある時代において乖離(かいり)しているのは意識していました」「81年にライシャワー元駐日米大使が『核武装した艦船が入港したり、領海を通過することはあり得る』と発言した時は『正直なこと言ったな』と思いました」と述べています。
首相在任当時は、きまり文句の建前答弁をしていた中曽根氏の発言だけに、重い意味をもつ言明でした。
核密約とは、日米両政府間の文書での協定
いま問題の核密約とは、60年の安保条約改定のとき、“核を積んだ軍艦や飛行機の出入りは自由、そのときは事前協議はいらない”旨を確認しあった秘密協定のこと。この協定について、中曽根氏は不破氏の質問に、「それは見たことないね」と答えました。
不破氏は、これが口約束などではなく、日米の政府代表(藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使)が文書に正式のサインもした秘密協定であること、これが半世紀たったいまも生きていて、日本への核持ち込みの状態が続いていることを指摘しました。
1963年――引き継ぎなしで起こった日米危機
この密約問題では、もう一つ奇怪なことがあります。国と国との公式の協定なのに、岸信介内閣が結んだあと、そのあとの政権にきちんと引き継いできた形跡がないのです。そのために、次の池田勇人内閣のとき、日米政府間に危機的な事態が起こりました。63年、池田首相が国会で「核を積んだ米軍艦の日本寄港は認めない」と答弁したことが、アメリカで大問題になり、ケネディ大統領が秘密裏に緊急の御前会議を開くところまでいったのです。
不破氏は、この問題をとりあげました。
「(そのとき)ケネディ政権はライシャワー大使に、大平正芳外相(当時)と会って直接確かめるよう要請した。ライシャワーの報告電報では『大平外相は(密約のことを)知らなかったけれども動じなかった』(笑)と。これが、60年の密約に続く重大な秘密合意となりました」
奇怪な仕組み――歴代の外務次官が首相・外相を選別
これで日米政府間の食い違いは解決しましたが、引き継ぎ問題の奇怪な真相が、最近の元外務次官の一連の証言で、ようやく明らかになりました。
密約は、歴代、事務方の外務次官から外務次官に引き継がれ、彼らの目からみて信用のおける首相や外相にだけ知らせてきた、というのです。だから、5年も首相をつとめた中曽根氏にも、密約は知らされなかったのでした。
不破氏は、ここに国の責任の所在にかかわる大問題がある、と言います。
「00年の党首討論で、小渕さん(恵三元首相)は私に『絶対にない』と答えました。報道によれば、小渕さんは外相時代に(外務事務)次官から密約を知らされた首相の一人なんです」
「知らされなかった首相・外相は怒るべきじゃないか」(不破氏)
不破氏は続けます。 「取り決めができて以降、首相が23人、外相は34人。密約を知っていたと指摘されるのは、締結の当事者を含め首相5人と外相6人です。密約を知らされなかった首相や外相は怒るべきじゃないですか」
ここで不破氏のいう、密約を知っていたことが明確な5人の首相とは、密約を結んだ本人の岸氏とライシャワー氏に知らされた大平氏、次官が知らせたという宇野宗佑氏、橋本龍太郎氏、小渕氏です。
誌面では、密約討論はここで終わっていますが、対談を傍聴した『サンデー毎日』の山田道子編集長が、語っていることを紹介しておきます。
「不破氏は誌面で紹介したよりもっと細かく追及。『日本が核問題で世界にモノが言えるようになるためにも、中曽根さんは一肌脱ぐべきだ』と迫ったことを付け加えておきたい」(編集長後記)
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