2009年6月24日(水)「しんぶん赤旗」
沖縄戦「慰霊の日」
戦争のつめ跡今も
20万人余の犠牲者を出した沖縄戦から64年。組織的戦闘が終結したとして沖縄県が「慰霊の日」と定める23日、県内各地で犠牲者をしのぶ追悼式が開かれました。
国籍を問わず沖縄戦犠牲者の名を刻む糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」では遺族らが沖縄戦で亡くなった家族の死を悼み、恒久平和の願いに包まれました。
糸満市の平和祈念公園では沖縄全戦没者追悼式(主催・沖縄県)が行われました。正午の時報にあわせ参列者は犠牲者に黙とうしました。仲井真弘多知事が「平和宣言」を読み上げ、麻生太郎首相と衆参両院議長があいさつ。南城市立大里北小学校6年生の比屋根憲太君が「平和のいのり」と題した自作の詩を朗読しました。
日本共産党から赤嶺政賢衆院議員や5人の県議らが参列し、献花しました。
最後の激戦地となった摩文仁の「平和の礎」には、多くの遺族らが訪れました。
猛暑のなか、にじむ汗もぬぐわず目を閉じていた女性(83)=那覇市=は当時、滋賀県の軍事工場に駆り出されていたといいます。終戦後に戻ると、生活の場が戦場となった沖縄戦で母親は命を落としていました。
「戦争はない方がいいのに、なくならない。爆弾が出たり、つめ跡も残ったまま」。世界でいまだに戦争が繰り返され、県内では不発弾が相次いで見つかり、事故も後を絶たない状況への憤りを口にしました。