2009年6月17日(水)「しんぶん赤旗」
無謀な出店 都が強要
大赤字招き撤退 本店のみに
新銀行東京
石原慎太郎東京都知事のトップダウンで設立した新銀行東京(新宿区)に対し、都が実情に合わない過大な店舗出店計画を迫り、大赤字を生じさせていたことが16日、本紙が入手した内部資料で判明しました。過大な融資目標に加え、無謀な店舗計画も東京都が押し付けて経営破たん状態を招いたことを裏付ける資料です。
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本紙の情報公開請求に対し、東京都が開示したのは、新銀行が作成した都との「連絡会」の議事録で、2005年9月から08年12月までの46回分。都側は産業労働局の部課長、新銀行側は執行役、審議役らが出席しています。
都は04年2月に策定した「新銀行マスタープラン」で店舗数を10と定め、石原知事は05年2月の都議会で「段階的に店舗を開設し、7月中には全面的に業務を展開する」と答弁しています。
「連絡会」議事録では、06年9月まで11回も店舗開設を議題にしています。都の部長らは「追加店舗の設置についてどのような状況か」、「『渋谷』、『池袋』の店舗選定の考え方は?」などと、マスタープラン通り10店舗の開設を繰り返し新銀行側に求め、出店場所や開店行事など準備状況の説明を求めています。
06年9月に都の計画どおり、10店舗体制にしました。
ところが、1年もたたない07年6月には店舗を減らす「新中期経営計画」を発表。08年には店舗を新宿店に集約する「再建計画」を打ち出し、次々と撤退。08年5月には本店(新宿)の一店のみという状況に追い込まれました。
自民、公明、民主の都議会「オール与党」も無謀な出店計画を「次の店舗開設を早く」などと後押し。大赤字の責任を新銀行の旧経営陣に押し付けてきましたが、新銀行の内部資料は、経営破たんの元凶が石原都政にあることを裏付けるものです。(岡部裕三)
出店強要 自・民が後押し
共産党は一貫して反対
新銀行東京は都の出店計画どおり、05年4月に千代田区大手町に本店を開業したあと、新宿、蒲田、上野、錦糸町、立川、池袋、渋谷、八王子、新橋に相次いで支店・出張所を開設し、06年9月には都の計画どおり10店舗を開業しました。
店舗拡大にとどまらず、都はATM(現金自動預払機)についても、「今後の展開は?」(06年5月)などと、「新銀行マスタープラン」に掲げた200台計画の実施を迫っていたことも議事録で判明しました。
新銀行は、開業1年目の06年3月期決算で累積赤字が300億円を超え、赤字がさらに急増し経営が傾いていたにもかかわらず、都は「マスタープラン」の出店計画に従うよう迫っていました。
同行が08年3月期決算で生じた1016億円の累積赤字のうち、店舗などの物件費は不良債権の処理額とほぼ同額の346億円で全体の34%を占めていました。
新銀行は本紙の取材に対し、「各支店には20〜30人の社員がいた。閉店に伴って、賃料、リースのパソコンなど電子機器、ATMの違約金を支払った。家賃や違約金の額は答えられない」と説明しています。
新銀行設立を賛美、推進してきた「オール与党」は、出店についても「次の店舗開設を早く行うべき」(自民・川井重勇都議、06年3月)、「(民間銀行の店舗は)合併、併合が繰り返されて非常に利用しにくくなっている」「都が新銀行をつくるとなると期待も大きい」(民主・大津浩子都議、04年11月)と催促しています。
日本共産党は新銀行に一貫して反対。日本共産党の追及で、都がマスタープランで押し付けた経営計画と過大な融資目標、ずさんな融資と審査システムが大赤字の原因となったことが判明しています。
新銀行東京 東京都が2004年に1000億円を出資して設立。08年3月期決算で累積赤字が1016億円と破たん状態に陥り、減資したために都の出資金のうち約855億円を棄損。設立時の1000億円の出資には自民、民主、公明が賛成。400億円の追加出資には自民、公明が賛成しています。
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