2009年6月1日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

片足のスピード感

来年のパラリンピックを目指す

三澤 拓さん


 来年3月にカナダで開催されるバンクーバーパラリンピック。アルペンスキー(カテゴリー立位)で、2大会連続の出場を狙う順天堂大学4年生の三澤拓さん(21)は、片足のスキーヤーです。モットーは「できるかできないかじゃなくて、自分がやるかやらないか」。常に前を見据え、歩み続けています。(栗原千鶴)


かけっこの感覚 取り戻した

 現在は、大学に通いながら、体力向上や筋力トレーニングに打ち込む日々です。

 「刺激をくれる」サッカー部や陸上部などの仲間がたくさんいます。「みんな上を目指していて、練習も妥協しない。自分も頑張ろうと思える」と目を輝かせました。

 左足を失ったのは、6歳のとき。クリスマスの前に買い物に行った先で、交通事故に遭いました。左足太ももを切断する大けがでした。

 「左足は天国に行ったのよ」「左足がなくても、何だってできる」。両親は、そういって三澤さんを励ましたといいます。

 体を動かすことが大好きで、事故に遭う前、保育園のかけっこではいつも一番でした。

 でも小学校に上がった運動会のときのことです。松葉づえで走り、友達に追いつけませんでした。そのとき初めて「片足を失った現実を知りました」。

あきらめず

 スキーを始めたきっかけは、小学校2年生のとき、バドミントンの少年団で行った行事でした。友達はスキーをしているのに、自分はそりしかできず、悔しい思いをしました。

 「家に帰ってから、スキーがやりたいと母親にいいました」

 障害者スポーツの情報が少なかった時代。母親が必死で探し、長野県波田町の家から車で片道2時間かかるゲレンデで、教えてもらえることになりました。週末になると母親が送り迎えをしてくれました。

 片足でスキー板に乗り、バランスをとることは容易ではありません。何度も転びましたが、あきらめませんでした。

 「かけっこで失ったスピード感を取り戻せた」と三澤さん。めきめきと実力をつけ、15歳でナショナルチームの一員となりました。

先輩の苦労

 しかし、そこで多くの先輩が、仕事と競技の両立に苦労する姿を目の当たりにします。

 「ワールドカップで世界を転戦するようになり、日本と海外の違いを感じた」。オーストリアやアメリカでは障害者スポーツの選手は尊敬され、プロ契約をして競技をしながら生活する選手も多い。

 「日本では、障害者スポーツは、まだまだ福祉の一環という考え方。プロ選手として生きていく道はないというのが現状です」

 日本パラリンピアンズ協会が昨年6月に行った選手の意識調査では、「苦労する点」で選手の8割以上が「費用がかかる」と答えています。

 練習場所の確保や用具の購入、遠征費用などほとんどの選手が自費でまかなっています。障害者スポーツの発展には、国の支援がかかせません。三澤さんは、「政治はもっとスポーツや文化を大事にしてほしい」と語ります。

将来は五輪

 一方で、選手自身の頑張りで、変化も作り出してきています。

 「先輩たちが頑張ったおかげで、冬だけは競技に専念できるという契約で仕事をしている選手も生まれています。僕もいま4年なのでスポンサーを探しています。自分たちが動いて、いろいろな事例をつくることで、社会や練習環境も少しずつ変わっていくと思う」

 今後の目標は「もちろんパラリンピックでの優勝です。一番高い所にあがりたい」と三澤さん。

 「高いレベルで競技がしたいので、将来は健常者と一緒にオリンピックに出たいですね。自分のレベルをあげて、国際オリンピック委員会が出場させようかどうしようか、悩むような存在になりたい。自分が出られなかったとしても、次の世代の一歩にはなるはずです」

 障害者スポーツの文化を、自らが動いて、切り開いていく―。そんな決意に満ちた言葉が返ってきました。

 みさわ・ひらく 1987年生まれ。164センチ、65キロ。長野県波田町出身。やぶはらスキー場に所属。2006年のトリノパラリンピックで回転5位入賞。3月のジャパンパラリンピックではスーパー大回転と回転で優勝。


 パラリンピックでのアルペンスキー 立位、座位、視覚障害の3カテゴリーに分かれ競技を行います。障害に応じた用具の工夫やルールがあり、1本のスキーで競技を行う場合には、バランスを保つために2本のアウトリガー(ストック)を使用。聴覚障害者の場合はガイドスキーヤーの声などを利用してコースを誘導することが認められています。


お悩みHunter

政治・社会よりも家庭を見て

  高校2年の女子です。両親は、会社や地域でいろんな活動をしています。家でも2人で政治や社会の話で盛り上がっています。日曜日も、私に洗濯や掃除を押し付けて、よく2人で出かけていきます。私だって友達と約束があるのに、おかまいなしです。政治や社会のことよりも、もっと家庭に目を向けてほしい。どうしたらいいですか?(17歳女性)

ご両親は気づいていないかも

  あなたの悩みに子として共感し、親として気づかされました。ありがとう。

 あなたのご両親はあなたがこのような悩みをかかえていることにまだ気づいていないのではないでしょうか。

 あなたの悩みを率直にご両親に話してみてはどうでしょう。

 きっと家族3人の理解が深まり、あなたの負担は軽減され、ご両親2人で盛り上がっていた政治や社会の話も家族3人の世代を超えた話に広がりをもってゆくことでしょう。

 私の両親も私が子どものころ、社会的な運動に参加していました。

 私も付き合わされ、お留守番させられ、と振り回された記憶があり、その反動で、私は30歳になるまで社会的な運動に距離をおいてしまいました。

 しかし、私が親になった今、私も社会的な運動に参加しています。それは、次の世代により良い社会を手渡したいからです。

 ご両親もきっとそんなお気持ちなのかもしれません。

 だからと言って、子どもの理解を得られないのであれば、もともこもありません。

 おとなとして、子どもと向き合い、子どもと共に社会的な活動を行えるよう心がけたいものです。

 社会的な運動も、世代間の交流や理解の深まりがとても大切で重要なことですから…。


舞台女優 有馬 理恵さん

「肝っ玉お母とその子供達」など多くの作品に出演。水上勉作「釈迦内柩唄」はライフワーク。日本平和委員会理事。


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