2009年5月19日(火)「しんぶん赤旗」

政府軍が制圧を宣言

反政府勢力指導者が死亡

スリランカ


 コロンボからの報道によると、スリランカ政府軍は十八日、反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が潜伏していた地域を制圧したと発表しました。最高指導者のプラバカラン議長は死亡しました。LTTEは十七日に「戦争は苦い結末に終わった」と事実上の敗北宣言を出しており、内戦は終結しつつあります。

 四半世紀にわたる同国の内戦で、これまでに七万人以上が死亡したとされます。

 ロイター通信によると、同国の軍報道官は十八日、「LTTEの戦闘員二百五十人以上を殺害し、すべての地域を彼らから解放した」と発表しました。また国営テレビは同日、戦闘地域から救急車で脱出しようとしたプラバカラン議長が攻撃を受け死亡したと報じました。

 政府軍は同日、同議長の長男で、LTTEの情報技術部門トップを務めるチャールズ・アントニー氏のものとみられる遺体を発見したと発表。

 また、警察部門の責任者イランゴ氏やアマン情報局長ら、幹部六人の遺体が戦場に放置されているのを、相次いで発見したとしています。

 十六日にLTTE制圧をいったん宣言したスリランカ政府軍は、その後も掃討作戦を続行。国防省は十八日、軍がLTTEを同国北東部の海岸沿い、約百メートル四方の区域に追い詰めたと発表していました。

 ラジャパクサ大統領は十九日、議会で公式な勝利宣言をするといいます。(安川崇)


スリランカ民族対立とは

 スリランカ北部に紀元前から南インド系のタミル人が定住。英国植民地時代、労働者として多くのタミル人がインドから移住しました。

 一九四八年の独立後、多数派シンハラ人政府はシンハラ語だけを公用語とするなどの多数派中心政策を推進。反発したタミル人の独立要求が強まり、七二年には武装組織LTTEの前身が結成されました。八三年ごろから政府軍との内戦状態に突入。

 LTTEは最大時で、国土の五分の一強にあたる約一万五千平方キロを実質的に支配しました。

 二〇〇二年に停戦が成立しましたが、和平交渉は難航。両者の衝突が絶えず、〇八年一月に政府が停戦を破棄し、軍事決着に向け攻勢を強めていました。


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