2009年4月15日(水)「しんぶん赤旗」
明日への視点
「新自由主義のわな」外すには
人件費と人権費
友寄英隆
ある大学の経営学部の期末試験の答案用紙に「人件費」と書くべきところを「人権費」と書いた学生が数名あったというコラムを新聞で読みました。(「日経産業新聞」四月八日付)
採点していた教授は、「こんな漢字もかけないのか」とがっかりしたそうですが、よくよく考えて「少しくらい点数をあげてもよかったかも」と語っていたそうです。
いま日本では、派遣切り、雇い止め、内定取り消しなど、あまりにも人権無視の企業が横行しています。昨年秋から急増した非正規の労働者の失職は、厚労省の調査でも、昨年十月から今年六月までに十九万人を超えるといいます。
労働者を酷使したうえ、モノのように使い捨てにする風潮に怒りを込めて答案用紙に「人権費」と書いたとすれば、その若者の人権感覚には、あっぱれと百点満点をやりたくなります。
憲法では、第二七条で国民の「勤労の権利」を定め、第二八条では「勤労者の団結する権利」を保障しています。
こうした「勤労の権利」を保障するために、企業には「社会的責任」が求められます。企業にとっても、「人件費」は「人権費」でもあることを肝に銘じてほしいものです。
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「新自由主義」派の経済学者は、市場経済のもとでは、企業の競争を最大限に発揮させるために労働法規などの規制を緩和することが経済の活力と成長をもたらすと主張してきました。
しかし、「市場原理」が放任された資本主義的市場経済では、いったん金融危機や恐慌の兆しがみえると、個別企業は、自分の「損失」を回避するために、われ先にと予防的に生産・在庫を圧縮するため、市場収縮の悪循環が生まれました。社会的な規制、合理的な経済システムが有効に働かなくなり、巨大企業のやりたい放題の経済システムになってしまいました。
これは、社会的なルールや計画性を軽視する「新自由主義」市場経済の《自己矛盾》です。ケインズ経済学の金融理論で金融政策が機能まひに陥った状態を「流動性のわな(罠)」とよぶことがありますが、それになぞらえると、まさに「新自由主義のわな」といえるでしょう。この状態は、個々の企業にとっても決して望ましいことではありません。
「新自由主義のわな」から個々の企業が抜け出すには、国や自治体などの手助けが必要です。
その一つは、社会的なルールとして、労働者保護の立法、たとえば労働者派遣事業法を派遣労働者保護法に抜本改正することです。これは、個々の企業が「競争」の悪循環に陥らずに「社会的責任」を果たせるためにも、当面ただちに実現すべきことです。
いま一つは、国家的なレベルで産業や雇用の長期的な発展計画を持つことです。そして、それを実現するための雇用の施策や職業訓練、教育政策などを拡充することです。そのなかには、当然、医療・介護・保育・福祉などの拡充政策、さらに農業・漁業再建、エネルギー・環境政策との関連も必要でしょう。
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冒頭に紹介したコラムでは、人件費の削減を優先させた企業は、社会的評価を落とし、「身軽になったつもりが皮肉なことに企業イメージを棄損させて」「高い代償を払わされる」と述べています。そして、「それが『人権費』と言う“新語”の誕生だ」としめくくっています。
しかし、「高い代償」は言葉のうえだけではありません。全国の非正規労働者は、相次いで労働組合を結成・加入し、解雇撤回などの成果をあげています。本紙の調べでは、全労連加盟の労働組合を中心に全国で労組結成・加入が三十七都道府県百五十以上(三月二十日現在)、千八百人以上に上っています。
年末年始の東京・日比谷公園での「年越し派遣村」に続いて、いま全国各地の市町村レベルで「派遣村」の活動がはじまっています。私の住む街でも、地元の労働組合、弁護士さん、党の市議会議員が協力して街頭での労働相談をおこなっています。
こうした草の根からの新しい運動の発展こそ、日本社会の再生、日本経済の新しい形を作っていくことになるでしょう。(論説委員)