2009年4月10日(金)「しんぶん赤旗」
「春の派遣村」 相談360件超す
仕事足がかりほしい
雇用保険なし/解雇され路上生活
「切るな! 切らせるな! 春の派遣村アクション」と題した「春の面談・電話相談村」(派遣村実行委員会主催)は九日も相談が相次ぎました。二日間を通じて仕事も住居も奪われた深刻な実態が浮かび上がり、改めて企業や行政の責任が問われています。(田代正則)
二日間で電話相談は北は北海道から、南は鹿児島・与論島まで、二百四十八件(九日午後三時現在)が寄せられました。会場となった東京・日本青年館には百十四人が訪れ、受付時間をすぎても相談者が続きました。生活保護申請は三十六人にのぼりました。
トヨタ、日野など自動車工場で働いてきた三十代男性は、ホンダを四カ月で中途解約。翌日に寮を追われ、「納得できない」と話します。
製造業派遣の三十代男性は、派遣期間を超えて五年二カ月も働かされ、一月七日に首切りに。「雇用保険もあとわずか。不安です」と電話してきました。
5人で相談に
三十八歳の男性は、八年間、派遣先を転々とし、三月末に解雇。資格があるのに企業は雇用保険にも加入させていませんでした。
実行委員の井上久さん(全労連事務局次長)は、「製造業の派遣切りに加え、正社員切りや事務派遣など、さまざまな人たちから相談があり、雇用破壊の広がりを感じる」と指摘します。
「この道二十五年のホテルマンです」とネクタイをしめた男性(45)は、半年前に仕事をなくし、新宿駅周辺の路上生活で支え合ってきた仲間五人で連れ立って来場しました。
北海道出身の男性(42)は、農家アルバイトが昨年十一月でなくなり、二日前、東京行きフェリーのテレビで相談村を知りました。「生活を安定させ、就職の足がかりをつくりたい」と、生活保護申請に行きました。本来なら行政がしなければならないことが相談村で支えられています。
「貧困ビジネス」とも呼ぶべき実態も。
大工の六十代男性は、生活保護費のほとんどをむしりとる民間施設に押し込められ、助けを求めてきました。「ベニヤ板で仕切った二畳の部屋で、月九万円もとられた」
生活保護申請のさいも、悪質な施設に入所させられそうになったケースもありました。
今度は助ける
ボランティアには二日間で百五十一人が参加しました。なかには「年越し派遣村」で生活再建を果たし、「今度は助ける番」と駆け付けた人もいました。
元トラック運転手の男性(48)は「こうしてみんなと顔を合わせ、人の役に立つと、元気になる」と笑顔で話し、相談者の案内役をしていました。
夜勤明けで駆け付けた立川相互病院の内科医は、「追い詰められ精神疾患のある人もいます。保険がなく医療を受けられないのは問題です」と話します。
湯浅誠村長は「人を使い捨てにする社会ではだれ一人幸せになれない。貧困をなくすことを政治の目標にして取り組むよう社会的に問いかけていきたい」と話します。
小池氏が激励
実行委員会は九日も国会で院内集会を開き、各党代表に生活費や住居などの緊急支援や派遣法改正はじめ法律や制度の整備を求めました。日本共産党から小池晃参院議員が出席し激励しました。