2009年3月4日(水)「しんぶん赤旗」
主張
「日の丸・君が代」
「強制なし」の原則に立ち返り
卒業式・入学式のシーズンを迎えています。子どもの成長を記録するもっとも晴れがましい日であるはずのこれらの行事を、重苦しいものに変えているのが「日の丸・君が代」の強制です。とりわけ東京などでは教職員を処分で脅して「日の丸」に向かって起立させ、「君が代」を斉唱・伴奏させる強制がつづいています。
強制には根拠がないばかりか憲法が保障する思想・良心の自由に反します。政府も認めてきた「強制しない」の原則に立ち返り、処分で脅すなどはやめるべきです。
憲法が定める内心の自由
もともと侵略戦争の記憶と結びついた「日の丸」や天皇制をたたえる「君が代」を国旗・国歌とすることには、国民の間で議論があります。それもあって、政府は一九九九年の国会で「国旗・国歌法」を強行成立させましたが条文にはどこにも強制の根拠はなく、政府は思想・良心などの自由を制約しないと約束してきました。
憲法一九条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と明記しています。国旗・国歌法の審議にあたって政府は、「国旗の掲揚等に関し義務付けを行うことは考えておらず」(小渕恵三首相=当時)と答弁しています。「強制なし」が「日の丸・君が代」問題の原則であることは明白です。
二〇〇六年に教育基本法が改悪された際にも政府は、「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱に反対するのは「思想信条の自由であります」と答えました(塩崎恭久官房長官=当時)。「強制しない」を原則に考えれば、「日の丸」に向かって起立することや「君が代」の斉唱・伴奏を義務付け、従わなければ処分するなどというのは、通用する余地がありません。
東京では石原慎太郎知事のもと〇三年十月二十三日付の通達(「10・23通達」)で卒業式・入学式での「日の丸」の掲揚や起立、「君が代」の斉唱が義務付けられ、従わない教職員には「職務命令違反」で処分が強行されてきました。〇八年の卒業式までの処分者は四百八人を数えます。
しかも今年は強制のほこ先が生徒に向けられ、「起立しない生徒がいれば再度起立を促す」と明記した卒業式の進行表が作られています。生徒の人権を奪うものです。
この間、強制に反対する教職員などのたたかいで、〇六年九月の東京地裁判決は「通達」を違憲・違法と認定し、起立や斉唱は義務ではないと認め、昨年二月の東京地裁判決は「通達」に従わなかったことを理由にした再任用拒否の処分は「合理性を欠く」と賠償を命じました。職員会議での採決を禁じた通達をめぐっても、現職校長を含め批判が広がっています。憲法を踏みにじるやり方の、矛盾の広がりは明らかです。
自主性に任せることこそ
卒業式や入学式の主人公は本来子どもたちです。行政側がこと細かに式の進行を決めるのではなく子どもたちの創意にゆだねてこそ充実した式にすることができます。東京都では強制が引き金になり、式当日の詳細なシナリオまで都教育委員会の点検を受けるようになりました。これでは子どもでなく“教委が主人公”の式です。
卒業式・入学式のあるべき姿の実現のためにも「強制しない」原則を貫き通すことは不可欠です。