2009年2月19日(木)「しんぶん赤旗」

イージス艦衝突1年

友の漁船 帰らぬ港

“海自そこのけ体質変わらない”

千葉・川津


 海上自衛隊の最新鋭イージス艦「あたご」が衝突、マグロはえ縄漁船「清徳丸」を真っ二つに引き裂き、吉清(きちせい)治夫さん(58)、哲大(てつひろ)さん(23)=いずれも当時=親子が冬の海に投げ出され、帰らぬ人となってから十九日で一年になります。親子船の舫(もや)い地、千葉県勝浦市・川津漁港を訪ねました。(山本眞直)


 春一番が吹いたとはいえ海風は冷たく、時化(しけ)続きの漁港は出漁待ちの漁船で満杯です。

 「清徳丸も本当なら、そこのたまり場につながっているんだがね」。漁船の手入れをしていた、漁師歴五十五年の男性(70)は真っ黒に日焼けした顔に悔しさをにじませました。男性は吉清さん親子を探すために遭難海域の捜索に参加しました。「治夫さんの母ちゃん(妻)は体が弱いんだよ。だんなと後継ぎの哲大の二人を一度になくしてどうやって生きていくのか」

 魚価の低迷、燃料の高騰による採算割れなど、漁業を取り巻く厳しい状況のなか後継者難は川津でも深刻です。男性は「哲大の後継ぎはうらやましかった」といいます。男性の息子も後を継ぎましたが、「つり客相手の釣り船ならというのが条件だよ。マグロ漁は遠方までいかなければならないし、きついことを知っているから」といいます。

 若手の漁師(39)は「哲大とはよく一緒だったよ。仕事も一生懸命でこれからが楽しみだったのに」と悔しがります。

二度と起こすな

 「もうあのような悲惨な事故を二度と起こさないようにしてほしい」。十六日午後、清徳丸が所属する新勝浦市漁協の外記(げき)栄太郎組合長と同川津支所の市原義次理事(金平丸船長)は防衛省で浜田靖一防衛相にこう訴えました。

 海難審判の終結、事故から一年という節目に「どうしても伝えておきたかった」(外記組合長)といいます。

 横浜地方海難審判所は一月二十二日の裁決で、衝突の主因が「あたご」側にあったと認め、「漁船側に原因があった」とする自衛隊側の主張を退けました。防衛相への要請後、外記組合長と市原さんは口をそろえて海難審判をこう振り返りました。「審判で吉清親子の名誉は守られた、という思いです」。そこには審判での「漁船が進路を変更したのが原因」という舩渡健「あたご」艦長(当時)の主張への強い反発があったのです。

 市原さんは事故当時、清徳丸と一緒に船団を組んで操業していました。「金平丸」のレーダー、GPS(全地球方位システム)の航跡データを公表しました。

 「艦長や自衛隊はレーダーや航跡データの記録がないといいながら、審判で漁船が原因と言い出したが何を根拠に言えるのか。おれたちはレーダーや航跡を消すなんてことはしない。艦長から、せめて見張り体制の徹底を教訓にしたい、という言葉を聞きたかった」

墓前に審判報告

 海上自衛隊は、審判で最後まで責任を認めませんでした。ベテラン漁師はいいます。「自衛艦はそこのけそこのけで漁船によけさせる体質が染み付いているのさ」

 外記組合長、市原さんら漁協役員は二十一日、吉清さん親子の墓前で海難審判の結果を報告することにしています。



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