2009年2月3日(火)「しんぶん赤旗」
雇用守る党に共感
派遣切り青年“居場所あった”
他党支持者と対話“変化を実感”
北九州市議選 10人全員当選
各党が総選挙の前哨戦として大激戦を展開した北九州市議選(総定数六十一、立候補七十九人)で、日本共産党は七選挙区十人の全員当選を果たしました。一般紙も「自民現職3議席失う 民主・共産全員当選」(「朝日」二日付)、「自民退潮3人落選 民・共は全勝 得票率伸ばす」(「毎日」同)などと書きました。この勝利を実現した力に、草の根からの活動、“縁の下の力持ち”の奮闘がありました。(北九州市議選取材団)
|
|
定数十二に十六候補が立候補した小倉南区。午前零時三十分すぎ。日本共産党の藤沢加代候補の事務所は、自民現職候補をきん差でやぶり当確が出ると、集まった支持者、党員の拍手に包まれました。
元自衛隊員が
その輪のなかに、昨年末、契約途中に大分キヤノンを派遣切りされた男性(26)の姿がありました。候補者カーのアナウンサー、電話での支持の訴え、ビラ配布にフル活動しました。男性は「僕はここにいていいんだと思える場所が見つかった。政策では派遣切りを批判して、雇用を守るということに共感した」と今回の活動に加わった胸の内を明かします。
八幡西区(定数十五)で原田里美候補とともに複数議席を確保した石田康高候補(党市議団長)の選挙事務所。宣伝カーの運転手として活躍した男性(40)は「当選は本当にうれしい」と満面に笑みを浮かべました。
男性は元陸上自衛隊員。五年前に除隊し、実家の北九州市に戻ってきました。このとき母親は生活保護を受けていました。当時の市政は生活保護の受給を抑制していました。
「息子の私が戻ってきたので、母の生活保護費は打ち切ると市役所からいわれた」と男性。「自衛隊をやめ、すぐに仕事も見つからない私は困りました」
そのとき、親身になって相談にのったのが石田市議でした。「なんとか生活保護費がつづき、石田さんは私の仕事探しも手伝ってくれました」
そんな石田さんの力になりたいと思い、宣伝カーの運転手を務めることにしました。そして昨年十二月二十九日に入党しました。
「大企業に対し、派遣切りやめよ、雇用を守れと堂々とものをいえる日本共産党はすばらしいと思った」。今回の市議選でも雇用問題は大きな争点でした。「国が働く人たちの雇用に責任を持たなければいけない。それをさせる国会にしたい」。男性の思いはもう、総選挙で日本共産党を前進・躍進させることに移っています。
自民党に嫌気
今回の市議選では、七つのどの選挙区でも自民・公明の麻生政権の悪政に真っ向から対決する政党・日本共産党に期待する保守・無党派の人たちの“姿なき声”もありました。
八幡東区(定数五)で当選した井上真吾候補は、告示前、商店街で自公政権からの支持離れを実感したといいます。
ある熱烈な公明党支持者の商店主は、「売り上げが落ち、深夜一時から早朝五時までアルバイトをして生き延びている」と話していました。
共産党支部の人が「あの家はいっても話にならない」と話していたのですが、対話後には公明党候補者のポスターの横に、井上氏のポスターも張らせてくれ、「大きな変化を感じた」と井上氏はいいます。
また、バリバリの自民党支持者と思われていた別の商店主と対話すると、その人は「妻といつ夜逃げしようか、廃業しようかと話している」といっていました。井上氏が「何かあったら、いつでも相談に来てください」というと、「行きます」との返事でした。この店主は、商店街でマイク宣伝をすると、いつも「うるさい」といって抗議をしていた人でした。
小倉北区(定数十二)で八記博春、大石正信の両候補の当選のために、対話・支持拡大で大活躍した女性は昨年、共産党員になったばかり。
その女性は、「みなさん、共産党は大丈夫と言ってくれたけど、もし落ちたら、市民のみなさんの『駆け込み寺』になっている党の相談所がなくなってしまうので、心配でドキドキしていました。当選してみんな吹っ飛びました。本当に良かった」