2009年2月1日(日)「しんぶん赤旗」
きょう「赤旗」創刊81周年
読者の元へ 厳寒の道ひた走る
東北の輸送・配達同行記
「しんぶん赤旗」は、日本共産党が非合法とされ、持っているだけで犯罪とされた戦前の暗黒時代から、侵略戦争反対、国民主権を訴え、人々の手から手へ渡され読み継がれてきました。創刊から81年。いま、党と国民を結ぶ「赤旗」日刊紙輸送・配達のネットワークは、全国に張り巡らされ、読者に届けられています。冬場の東北地方でその一端を見ました。 石渡博明 写真・林行博
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岩手県北上市にある、あかつき印刷北上工場。一月二十八日午後九時十一分、輪転機が動きだしました。「赤旗」日刊紙A版の刷り出しです。静かだった工場は、あわただしさに包まれます。五分後にはトラックへの積み込み作業が開始され、九時二十分、福島県方面に向かうトラックが出発しました。
二カ所の荷積み場所では、東北地方の各方面に向かうトラックが順番に入れ替わり、運転手が協力しあって、ゲートから次々出される「赤旗」の梱包(こんぽう)を積み込んでいきます。気温はマイナス二度。この日は水曜日で日曜版の印刷・輸送も加わります。積み間違いや積み残しがないか、集中力を高めて点検作業にのぞみます。
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「日刊紙の輸送は、党と国民、党中央と党員を結ぶ大動脈。私たちの仕事は、単なる物運びではない。共産党から重要な仕事を任されているんだと、社員をはじめ輸送業者や運転手の方々に日々理解してもらうようにしています」。東北地方の「赤旗」輸送を一手に引きうけている株式会社東北物流の藤原悦夫社長は、この十年間、北上工場を拠点にした「赤旗」輸送網をつくるために努力してきました。
現在、東北地方には二十三の「赤旗」日刊紙輸送コースがあり、三百二十のポストに届けています。実車距離(走行距離の合計)は一日七千五百キロに及びます。
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午後九時三十分。二番目の出発便、宮城、山形方面向けトラックが工場を後にし、東北自動車道を南下しました。山形行きの「赤旗」は仙台市の中継所で待機していたトラックに積み替えられ、山形自動車道へ。蔵王山麓(さんろく)に来ると、ここまで見られなかった積雪が、この時期珍しい満天の星に照らし出されてきました。山形市内で再び中継され、二十九日午前零時二十六分、最初のポスト、党村山地区委員会に到着しました。
午前2時半 マイナス9度仕分け/午前3時の雪道 配達40年
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「こんなに雪が少ない年は初めて。気分的に楽です」。確実なハンドルさばきをみせる星明男さん(42)は、この道二十二年。毎日の走行距離は、二百六十キロ、日曜版がある日は四百四十キロになります。「決まった時間に確実に届ける、この仕事で大事なことは日中の睡眠をきちんととることです」と星さんはいいます。
冬場は、国道、県道の8%の区間が通行止めとなる東北地方。地吹雪や事故で高速道が閉鎖となることもたびたびです。
藤原社長は、「今冬、近年になく雪が少ないとはいえ、高速道は四回の通行止めがありました。日刊紙の原稿締め切りを繰り上げてもらったりして対応してもらっていますが、大渋滞やう回路の確保など、冬は、緊張した運転業務を強いられます」。やむをえず遅れる場合の現地への連絡、応急処置など、休日も携帯電話の着信に気を使います。
視界は約10メートル
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トラックが山形市内をぬけ、南陽市に入ると濃霧が発生しました。やはり冬は気が抜けません。視界約十メートル。ライトに浮かび上がる道路脇の赤と白のポールが頼り。慎重に運転をすすめます。トラックは、八カ所のポストを経て午前二時三十分、米沢市内の党置賜地区委員会に到着。ここから北上し、最終ポストの朝日町へ向かいました。
置賜地区では、ほどなく、“完全防寒スタイル”で同地区機関紙部長の長沼博さん(62)が現れました。「冷てえー」。マイナス九度のもとでの「赤旗」仕分け作業に、たまらず声がでます。
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午前三時、受け持ち分の日刊紙を手に出発しました。NHKの大河ドラマでブームの直江兼続も“眠る”米沢市。数多くの史跡がある街も幹線道路からはずれると曲がりくねった細い道が続き、道路脇には除雪された雪の壁が連なっています。「ドカッと降った後は、車が進入できず、相当歩かねばならないこともあるんです」。大気中の水分が凍りつき、ヘッドライトにキラキラ浮かびあがります。
還暦を過ぎたとは思えない身のこなし。雪上を跳ぶようにかける長沼さん。四十年近く、日刊紙の配達に携わっています。大学で働いていたときは週五日、一昨年退職して地区機関紙部の仕事をひきうけ週六日、日刊紙を配っています。配達後、一時間ほど眠るのが長続きの秘けつだとか。
兄の教え胸に
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働き始めたころ、兄から“社会の不合理を正す仲間になれ”とすすめられ、民主青年同盟に加盟。その二週間後、兄は不慮の事故で亡くなります。その年に日本共産党に入党し、以来「『赤旗』こそ日本共産党の生命線」との教えを胸に刻んできました。同日の配達は、午前五時終了。街はまだ闇に覆われていました。
配達先の一人、男性(68)は、毎朝六時半から日刊紙を読み始めます。「日刊紙がないと、年金者組合や党後援会の活動ができません。いま、米沢でも問題になっている“派遣切り”の記事を注意深く読んでいます。毎日、配達ごくろうさまの気持ちでいっぱいです」