2009年1月6日(火)「しんぶん赤旗」

私たちが立ち上がる番

派遣村移動

希望持ち職・住探す


 「生活確保は、これからが大切」「二度と『派遣切り』被害者を生まない社会をつくろう」と五日、東京・日比谷公園から、厚生労働省と東京都が用意した都内四カ所の緊急避難所に移動した「年越し派遣村」の「村民」とボランティアの人たちは決意を新たにしていました。


 派遣村最後の朝食炊き出しは、撤収作業のため一時間早まり、午前八時に開始。「村民」とボランティアが力を合わせてテントを解体し、布団や毛布を運び出しました。きれいな状態で日比谷公園を明け渡そうと、ごみの回収にはとくに気を使っていました。

 「村民」大移動集会は、宿泊確保のため開放させた厚生労働省の講堂で行われました。

 昨年十二月三十一日から一月五日までに届けられた現金のカンパと募金が二千三百十五万円、ボランティアがのべ千六百九十二人と発表されると「おお」という歓声と大きな拍手が起こりました。

 名誉村長の宇都宮健児弁護士は、「みなさんに寄り添っていく。生き抜きましょう」と、「村民」を励ましました。

 派遣村実行委員会の関根秀一郎事務局長は「まだ、路頭に迷っている労働者がたくさんいる。厚労省に派遣村のような機関をつくってもらいたい。そして、二度と被害者を生まない取り組みをしたい」と強調しました。

 集会後、入村者とボランティアは、支援物資のカップめんなどを手に国会へ請願デモに出発。「『派遣切り』を許すな」「労働者派遣法を改正しろ」とこぶしを突き上げました。

 働いていた介護の事業所が閉鎖され派遣村に来た男性(27)は、派遣村スタッフが一緒に会社とかけあい、別の事業所で寮付きで働けることになりました。「親身に相談に乗ってくれ、人のあたたかみを感じました」と話します。現在、妻と生まれたばかりの子どもを、妻の実家にあずけています。「早くお金をためて、家族で暮らしたい」と語りました。

 昨年九月まで群馬県内で働いていた元派遣社員の男性(37)は「自殺を考えたこともあった。じっくりと次の仕事と安定した住居を探したい。少しは希望を持っている」と話しました。

 かぜ薬をのんでいた男性(61)は、「小池晃さん(医師、日本共産党参院議員)に健康の相談に乗ってもらった。ボランティアの方々に本当に助けられた」としみじみ話します。「これで、何もしなければ申し訳が立たない。今度は、私たちが立ち上がる番です」と決意を込めました。


生活保護を一斉申請

10人が即日受給

 「年越し派遣村」の「村民」七十五人が、五日、東京都千代田区役所に生活保護を申請しました。このうち十人が生活保護を即日受給できることになりました。

 神奈川県の日産追浜工場を昨年、雇い止めされた派遣社員の男性(35)は「十月から生産が落ち込みやばいなと思っていたが、先行きのことはなるべく考えないようにしていた。生活保護が受けられたら、まず仕事探しをしたい」と話しました。

 都内で路上生活をしている男性(55)は、厚労省が講堂を宿舎に開放したことなど「行政が急に動いてびっくりした。やっぱり世論だよね。でもここで終わっちゃだめ。全国の路上生活者が救済されなくちゃあ」と語りました。

 区役所には全国労働組合総連合(全労連)から百人分の弁当とお茶が届けられ、区役所前では区の社会福祉協議会と防災課が炊き出しを行いました。

 「派遣村」の「村民」二百三十人が五日までにファクスで生活保護申請の意思を伝えていました。



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