2009年1月3日(土)「しんぶん赤旗」
派遣村 殺到300人
政府は支援の手だてを
緊急申し入れ
「派遣切り」など労働者の大量首切りで仕事と住居を失った人たちを支援するため、東京都千代田区の日比谷公園に労働組合や市民団体が開設(昨年十二月三十一日)した「年越し派遣村」には二日、失業した派遣労働者ら三百人以上が駆け込みました。派遣村村長の湯浅誠NPO自立生活サポートセンターもやい事務局長らは同日、「われわれ民間だけでは限界だ」と、厚生労働省に緊急避難場所の設置や公営住宅、官庁宿舎などの開放を求め、緊急の申し入れをしました。(田代正則)
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入村した人たちの多くは、所持金がほとんどなく、元日は二百二十三人が日比谷公園内に五十以上のテントを張り、夜を明かしました。日が落ちると冷え込みが厳しく、「毛布一枚で寒くて眠れない」などの声が入村者から聞かれました。
湯浅氏は「テントや毛布、医療ボランティアが不足しています。このままでは、凍死者も出かねない状況です」と事態の深刻さを訴えました。
衰弱した入村者も多く、元日には、派遣村にたどり着いたとたんに顔面そう白になって倒れこんだ男性など三人が救急車で病院に運ばれました。
緊急の「村民集会」が二日、日比谷公園内で行われ、湯浅氏が「『派遣切り』でこういう事態になることは、分かっていたはずだ」と政府の対応を批判。冬休み中の学校体育館の開放などによる緊急対応を求めました。
「五日までみんなで乗り切り、就労や生活保護などその後の生活につなげていこう」と呼びかけると、村民やボランティアから大きな拍手が起こりました。
「自分自身も求職中です」という男性(48)は、調理経験を生かして炊き出しの助け合いに参加。「一度に五百人分くらいを用意しているが、すぐなくなる」といいます。
栃木県の日立の工場を昨年十二月二十五日に「派遣切り」された男性(29)は、「カプセルホテルを泊まり歩いたが、所持金が尽きました」。派遣村には、元日の夕方に到着しました。「すぐに仕事につきたい」と履歴書を持参しましたが、「四年前、トヨタ系の関東自動車(岩手県)で働いて、過労で倒れたことがある。健康に続けられる仕事を探したい」と話します。
年越し派遣村では、運営資金やテント、毛布のカンパを呼びかけています。名古屋市の過労死遺族から「二度とこんな働かされ方がないように」と十万円がおくられるなど支援が広がっています。
問い合わせは、年越し派遣村臨時電話090(3499)5244。寄付口座は、みずほ銀行銀座支店(普通)2692964「派遣村寄付金口座 弁護士 棗(なつめ)一郎」。
厚労省講堂を宿泊に開放
厚生労働省は二日夜、「年越し派遣村」に集まった人たちに、庁舎内の講堂を宿泊用に開放しました。五日午前九時までの予定。隣接する中央区も元小学校の講堂の多目的施設二カ所を開放しました。
一日夜は、派遣村が公園内に用意した約五十張りのテントに二百二十三人が宿泊。二日には、宿泊希望者が二百七十人を超えました。派遣村は大村秀章厚労副大臣に対応策を要請していました。
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