2008年9月9日(火)「しんぶん赤旗」
京都市議補選 佐野さん勝利
“今度は文句なく共産党”
大差に相手陣営も「自民党が見放された」
定数1で日本共産党が大差の勝利――。7日投票の京都市議南区補選は、佐野春枝さん(61)が、自民新人に2200票余の差をつけました。「まさか、こんなに差がつくとは」(自民党京都府連幹事長の田中セツ子京都市議=南区選出)。開票直後の自民新人の事務所では、選挙結果に大きな衝撃が走りました。(京都府・加藤貴顕、岡本大介)
首相辞任が反発招く
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選挙戦は自・公政治への審判、くらしの要求実現を焦点に激しくたたかわれました。昨年の参院選での自民党比例票は八千百七十九票、日本共産党は七千六百九票。日本共産党が二千八百票以上も増やしての勝利です。
「京都」が八日付で「『弱者を守る』努力の勝利」と報じ、「毎日」が共通面で「『首相退陣が影響』 共産新人が自民破る」などと各紙も報じました。
今回の補欠選挙は、自民市議の死去にともない行われ、死去した市議の長男が候補者に。事務所には遺影を掲げ、運動員は肩に喪章をつけて盤石の陣立てを取りました。
地方選では異例となる、衆院京都1区選出の伊吹文明・財務相(前自民党幹事長)、府連会長の谷垣禎一・国土交通相の現職閣僚が二人そろって街頭宣伝。伊吹氏は何度も入り檄(げき)を飛ばしました。
告示後の一日に福田首相が辞任を表明すると、事務所に張ってあった福田首相の大きな青い自民党のポスターをはがし、「責任政党・自民党」のアナウンスもやめて、自民党隠しに。
選挙結果がでると、府連副会長の二之湯智参院議員が「自民党への逆風の上に、福田総理の辞意表明は市民の皆様の大変な反発を受けた」と語り、門川大作市長とともに頭を下げ続けました。
大差での敗北に「後援会が全然動いてくれなかった」(田中氏)、「市民の視線は冷たかった」(選対幹部)の嘆きが聞かれました。六十歳代の男性支援者も「自民党そのものが見放されたということだ」とつぶやきました。
命の恩人と慕われる
開票翌日の八日朝七時半。佐野さんは近鉄東寺駅で、穀田恵二衆院議員・国対委員長(衆院比例近畿・京都1区候補)とともに宣伝に立つと、市民から「入れたよ」「すごいね」と次つぎに声がかかります。
初めて日本共産党に投票したと語る男性(57)は、「とにかく自分のことのようにうれしい。この一言に尽きます」。佐野さんに相談し、手術もでき、「命の恩人」と佐野さんを慕います。
佐野さんは二十五年間、京都民医連吉祥院病院でケースワーカーをつとめ、応じてきた生活相談は五万件にのぼり、立候補を表明した八月六日からの一カ月の間、相談に乗ってもらった市民が事務所などを訪れ、演説会の弁士にもなり「命の恩人です」と支援し、支持を広げました。
「票差が二千を超えるとは…。佐野さんがいい線まではいくな、とは思っていたが、正直勝つとは思わなかった。それだけいまの政治への怒りが強いということだと思います」
日本共産党の応援弁士をはじめて引き受けた元南福祉事務所長(71)は、驚きを隠しません。
自共の力関係変えた
佐野さんは、「いのちを差別する後期高齢者医療制度の廃止にむけて全力で頑張ります」と訴えました。
日本共産党支部・後援会は、市田忠義書記局長、小池晃政策委員長らの応援演説を力に「南区から廃止の声を」と訴え、「京都市議会で佐野さんが通れば、市議会で廃止を求める議員が多数になります」と支持を広げました。
佐野さんが、穀田衆院議員らと歩いて支持を訴えると、家から飛び出してきて激励し、手を合わせ頭を下げて見送る市民ら。歩いて訴える佐野さんの後に一緒に歩き、自分の声で訴える人が増え、どんどん列が長くなった街頭宣伝…。「自民党を懲らしめてほしい」。この市民の願いを背に奮闘を続けてきました。
市田氏や小池氏が駆けつけた演説会には、「共産党の演説会に初めて寄せていただきます」などの声があがり、地域の有力者、PTA役員からも「いろいろな党に入れてきたが、今度は文句なく佐野さん」などの声が寄せられました。
日本共産党京都南地区委員会の石川和司委員長は言います。
「定数一の補欠選挙で、自民党候補との一騎打ちで勝ち抜くことは容易でないたたかいでした。佐野さんが勝利し、南区の市議会議員は共産一対自民二から共産二対自民一に変わり、共産党と自民党の力関係が逆転し、自民党の悪政に審判が下りました。獲得した得票率が過半数を超えたことは、市民のみなさんの共通する願いの強さの表れにほかなりません。総選挙で躍進するよう頑張りたい」