2008年9月7日(日)「しんぶん赤旗」
米原潜
“放射性水放出は必要”
64年の初寄港前 米側、日本に主張
米原子力潜水艦の日本初寄港(一九六四年十一月)をめぐる日米交渉で、日本側が領海内での一次冷却水などの放射性物質の放出を行わないよう求めたのに対し、米側がかたくなに拒否していたことが、米国立公文書館所蔵の米政府解禁文書で明らかになりました。国際問題研究者の新原昭治氏が入手・分析しました。
解禁文書は、六三、六四年の原潜寄港受け入れの日米交渉に関する在日米大使館と米国務省との間の電報など。
それによると、交渉で日本側は「日本の領海内では、日本の権限ある当局の事前承認なしには、原子力潜水艦が液体または固体の放射性物質を放出しない」よう求めました。
これに対し米国務省は「要請に沿うことは残念ながらできない」とし、「(原子炉の)一次系のウォームアップ時に少量の低レベル放射性(冷却)水を放出することが必要になる」と回答するよう大使館に指示しました。
日本側はまた、原潜の「安全性」を検討するためデータを提供するよう要請。しかし米側は「すべての関連データは機密扱いとなっている」と、軍事機密を盾に拒否しました。
米原潜の放射能放出問題では、先月初め、日本への寄港を繰り返していた原潜ヒューストンから二年以上にわたり放射能が漏れていたことが発覚しています。しかし今回明らかになった解禁文書は、米原潜の日本初寄港以来四十四年間にわたり、米原子力艦船が日本の領海内で放射性物質を放出していた可能性を示すもの。米原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀(神奈川県)配備にもかかわる問題です。
米原潜の日本初寄港をめぐる日米交渉 一九六三年一月、当時のライシャワー駐日米大使が寄港を要請。日本政府は受け入れを基本方針としていたものの、国民の強い反対世論と運動の前に、交渉は長期に及びました。政府が寄港に正式に同意したのは六四年八月。同年十一月に米原潜シードラゴンが佐世保港(長崎県)に入港しました。
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