2008年8月9日(土)「しんぶん赤旗」
原水爆禁止世界大会・長崎
反核の思いひとつ
長崎市に舞台を移した原水爆禁止2008年世界大会は8日、同市内で国際交流フォーラムを開き、関連行事として「核兵器なくそう・世界青年のつどい2008inナガサキ」「少年少女平和のつどい・長崎」をおこないました。
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国際交流フォーラム
実相と署名広げて
国際交流フォーラムが長崎大学で開かれ、各国の政府代表や非政府組織(NGO)の代表がともに席を並べ、二〇一〇年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けてどう行動していくかを意見交換しました。
駐日エジプト大使館のワリード・アハメド・ハッガッグ一等書記官は、二〇一〇年の再検討会議にエネルギーのすべてを注ぐべきだと強調。核保有国が自国の戦略課題から核兵器をはずすことや核兵器の全面軍縮に向けた交渉開始などを求めていこうと呼びかけ、中東を非核化し、アジアに広げたいとのべました。
アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏は「原爆投下が戦争を終わらせた」とする駐日大使の発言や大統領候補の核政策を批判し、二〇一〇年の再検討会議に向けて「核兵器のない世界を」のアピールと署名を広げていこうと呼びかけました。
「過去を忘れる者に未来はない」と力を込めたのは、ベトナム平和委員会のファン・バン・チュオン副会長。世論の力で核保有国に廃絶に向けた明確な約束の実行を迫っていこうとのべました。
アラブ連盟のモハメド・エゼルディン・アブデル=モネイム特別顧問は、核兵器の取得などの禁止だけでなく、廃絶条約を追求すべきだとのべました。
原水爆禁止日本協議会の土田弥生事務局次長は、「核兵器廃絶」の主張が多数派になっているとのべ、「保有国を動かす強大な世論をつくろう」と強調。二〇一〇年の再検討会議までの二十カ月、新しい署名と被爆の実相を伝える運動に全力を尽くそうとよびかけました。
討論では、核兵器でさまざまな意見があるなどの発言に対し、被爆の実相を伝えていくことが大事など活発に意見を交わしました。
田上富久長崎市長とメルセデス・ルイス・サパタ駐日メキシコ大使館臨時代理大使があいさつしました。
世界青年のつどい
廃絶へ決意ともす
「平和の願いをこめて」「世界に平和を」の思いを青年たちがキャンドルに書き込みました。「核兵器なくそう・世界青年のつどいinナガサキ」が八日、長崎市内で行われ、キャンドル行進をしました。
「気付いた時にはつぶれた家の下敷きになっていた」。六十三年前の長崎で、爆心地から一・五キロメートルのところで被爆した深堀悟さんは、「つどい」の冒頭こう口を開きました。
焼け野原となった長崎で深堀さんは惨劇を目の当たりにしました。「『おばちゃん、だれ』と全身焼けただれた女性に尋ねました。服が焼け、腰ひもしか締めていない、その女性は近所のおばさんでした。家族七人を失った悲しみは今も消えません」と述べました。
第二幕の国際交流では四人の海外代表が核兵器開発と核実験に反対する活動を紹介しました。インドから来た女性シンドゥ・ジョイさんは「反核の運動をするすべての日本の仲間たち、平和のメッセージを世界に広げましょう」と連帯のあいさつをしました。
参加者は「核兵器をなくしたい」というそれぞれの思いを「つどい」会場で紙コップに描き、キャンドルを中にともしました。それを手に持ち、沿道をピースウオークしました。
少年少女のつどい
身じろぎもせずに
「少年少女平和のつどい・長崎」では、参加した子どもたちは被爆の実相を学び、平和について考えました。
つどいには、学童保育の子どもたちなど約七十人が参加しました。
午前中は、五つのグループに分かれ被爆遺構めぐり。暑さの中、原爆落下中心地や城山小学校、一本柱鳥居などを見て回りました。
爆風で鳥居の片方が飛んだことや柱に刻まれていた文字が熱で消えたことなどを聞いて、子どもたちは「すごい」と驚いていました。
昼食は、被爆クスノキのある山王神社で戦時食を体験。じゃがいもの入ったおかゆとかぼちゃ入りのすいとんに子どもたちは、「おいしくない」となかなか箸(はし)が進みませんでした。
午後は、紙芝居のあと被爆体験を聞く会。内田保信さんら被爆者が当時の様子を子どもたちに語りかけました。内田さんは、「核兵器が人間が作ったものなら必ず人間の手でなくすことができます。核兵器廃絶の署名に名前を書いてください」と呼びかけました。子どもたちは身じろぎもせず、真剣に話に聞き入っていました。
六年生の女子は、「原爆の話を聞いて二度とこんなことは起こってほしくないと思いました」と感想を寄せました。
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