2008年8月4日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
自立の道歩む自治体
「暮らし守る」 住民が選択
“平成の大合併”の掛け声で全国で強引に合併が進められてきました。いまなお、さらに推進しようという動きが根強くあります。このなかで、三度にわたって自立の道を選択したり、歴史や住民の気持ちを大事にしたいと、自立の道を歩んでいる自治体があります。長野県小川村、宮崎県綾町からのリポートです。
住民投票を2度、村長選も
長野・小川村
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長野県上水内郡小川村(おがわむら)の村民は六月十五日、「自立」か「長野市へ合併」かを決める住民投票で「自立」の道を選択しました。自立―千二百八十票、合併―千百八十票。百票の差でしたが、四年前の住民投票以来、三度目も自立を選んだことになります。
小川村は、県都長野市と黒四ダムの玄関口・大町市との中間に位置し、人口三千二百人余の、山あいに集落が点在する小さな山村です。四年前の選択は信州新町、中条村(ともに上水内郡)との合併の是非を問う住民投票で、三町村合併に反対が六割を占め、合併は白紙となりました。
二度目は二年前の、長野市との合併を争点にした村長選挙でした。前村長は自立、合併をうやむやにして再選を狙いましたが、土壇場で自立を掲げる大日方茂木現村長が出馬。激しい選挙の末、三十五票差で勝利しました。昨年九月の村議選で私は、自立を訴えて二位で当選できました。
これで村づくりは順調に進むかと思われましたが、信州新町、中条村が特例法期限内での長野市との合併推進を決めたため、ふたたび合併が取りざたされ、三月議会で合併推進派が住民投票を提案。これによって三回目の選択を迫られたわけですが、今回の住民投票は前二回にもまして激しいものになりました。
共産党がビラ
合併推進派は「合併せねば孤立する」「二十年先までの財政見通しがないから(自立は)ダメ」などと不安をあおりました。
これにたいして党支部は「地方いじめの合併では小川村に幸せはありません」「年をとっても、このままでいられることが自立です」などと訴える「民報」を配布。国の合併の狙いや、合併した場合の住民負担などわかりやすい内容のビラを出し、国の政治を変えてこそ、歴史のある村を守り発展させていけることを訴えてきました。
手放さぬ限り
最後のビラでは元村議会議長、元村助役が「民報」に登場し、「村民が村を手放さない限り、頑張って守ろうとする限り、県も国も村をつぶすことはできない」と訴えました。これらが反響を呼び、自立を選ぶ大きな力となりました。
昨年つくられた自立プランは二年目を迎えました。地域医療充実などを柱にしたプラン実現のために、住民とともに努力していきたいと思っています。(長野県小川村議会議員・吉沢房斎)
歴史ある名前残したい
宮崎・綾町
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いわゆる“平成の大合併”で、綾町(あやちょう)を含む東諸県(ひがしもろかた)郡三町のうち、隣の高岡町が県都・宮崎市と合併しました。今度は宮崎市に囲まれる形になってしまった清武町と宮崎市との合併協議会がおこなわれるなど、新たな動きが始まっています。
にもかかわらず綾町ではいま、合併話はほとんど起きていません。人口約七千五百人の小さな町。財政的には厳しく、真っ先に合併の話が出てもおかしくないのですが、町長も議会も三年前、合併はしないという選択をし、現在もこの基本方針が変わっていません。
宮崎市に反発
これには国の方策に沿って宮崎市が強引に合併を進めようとしたこともかかわっています。宮崎市は六年前、市庁舎と市役所前交差点に「一市六町の合併を!」という大きな看板を掲げました。宮崎市は通勤圏内であり、生活も深くかかわっていますが、町に相談もないまま看板を掲げたことに、町長は「なんの話もなくけしからん」と怒りました。
当然です。小さな自治体は将来財政的にやっていけなくなると、国があおったこともあり、住民の中には合併に対する漠然とした期待もあったと思います。しかし宮崎市の強引なやり方への反発と、合併で、長い歴史と愛着を持っている綾町の名前や存在をなくしてしまっていいのかと町民が考えるきっかけになったようです。
町長も議会も
町長も〇五年三月議会で自立の道を進むことを表明しました。町議会は〇五年の十二月議会での「合併特別委員会の最終報告で「合併せず、自立の道を選択することを確認した」と表明しました。
綾町は宮崎県のほぼ中央に位置します。縄文遺跡があります。西暦九六七年、日向十六駅のなかに「亜椰(あや)駅」とあり、奈良時代に集落が形成されていました。
わが国有数の照葉樹林帯が広がり、緑豊かな町です。移住者もあって人口は七千五百人前後で推移しています。移住者は染め物、木工、焼き物などの工芸家が多く、農業の移住者もいます。
スポーツ合宿のメッカで、ガンバ大阪、川崎フロンタ―レなどのサッカーチーム、旭化成陸上チームや、中学、高校、実業団など年間約三百チームが綾町を訪れます。冬芝が整備されており、サッカーの冬場の合宿も盛んです。
私は結婚で宮城県からこの綾町にきました。その郷里の町は合併で名前が消えてしまいました。今回の地震で子どもたちに地名を教えようとしても、一度では説明できなくなりました。地域の歴史や住民生活、感情を無視した押し付け合併は、町民とともにじっくり見極め、考えていく必要があると思っています。(綾町議会議員・橋本由里)