2008年7月31日(木)「しんぶん赤旗」
WTO交渉決裂
米国の自由化要求
途上国が拒む
貿易のいっそうの自由化をすすめようと、スイス・ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)は大筋合意に至りませんでした。ラミーWTO事務局長は二十九日夜(日本時間三十日未明)、記者会見し、非公式閣僚会合の協議が決裂したことを正式表明しました。年内の最終合意は「不可能」(甘利明経済産業相)となり、交渉も長期凍結が必至の情勢となりました。
今回の交渉は、世界的な食料危機、穀物や原油価格の高騰のなかで開かれました。しかし、世界が直面する事態は放置したまま、貿易の拡大のみを推し進めようとした米国など輸出大国のいっそうの自由化要求が、途上国などの拒否にあいました。
協議では農業、鉱工業両分野の自由化ルールを定める市場開放の大枠(モダリティー)合意がテーマとなりました。開発途上国に配慮した特別セーフガード(緊急輸入制限)をめぐり、輸入促進を迫る米国と、中国、インド両国の意見が対立しました。ラミー事務局長は「特別セーフガードの発動基準をめぐる相違が決裂につながった」と述べる一方、「タオルは投げない(あきらめない)」とも強調しました。
九日間に及んだ会合では、自国の農産物保護策は温存しながらいっそうの貿易自由化を主張する米国などと、新興国を含めた途上国の意見が終始対立。ラミー事務局長は、日本や米国、欧州連合(EU)、インド、ブラジル、オーストラリア、中国の主要七カ国・地域の閣僚に参加を絞り込んだ会合を開きました。二十五日には事務局長として初の裁定案を提示。農産物の関税引き下げを例外的に小さく抑えることができる「重要品目」の割合を全品目の「原則4%」にすることで、各国に合意を求めました。
日本政府も日本農業に壊滅的な打撃を与えかねない裁定案を基本的に受け入れる姿勢を示しました。
しかし、交渉終盤に、特別セーフガードの発動基準緩和を求める中国、インドと、裁定案通りの厳しい基準を維持したい米国の主張の溝は埋まらず、交渉決裂に至りました。
世界貿易機関(WTO) 貿易自由化のためのルールを決める国際機関として、1995年1月に発足しました。本部はスイス・ジュネーブにあります。意思決定は、すべての加盟国の合意によって行うコンセンサス方式。決定は加盟各国への拘束力を持ちます。WTO農業協定は、多国籍企業と農産物輸出大国にとって都合のいい貿易自由化のテコとなり、国民への食料供給を保障すべき各国の国内農業を破壊しています。農産物の過剰を前提にしてつくられたWTO農業協定の根本的な見直しが求められています。
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