2008年6月23日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
過剰な水
住民に押しつけないで
京都府大山崎町が5月20日、町が破産するような過剰な府営水を押し付けないでと、府を提訴しました。巨費を投じてムダなダムをつくり、過剰な水を自治体に押し付けて住民に負担させる問題を、大山崎町と大分市からの報告と解説で考えます。
府営水道導入で赤字に
京都・大山崎町
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近隣にサントリーのウイスキー工場などがあるように、京都府大山崎町は名水の郷として豊富な地下水に恵まれ、上水道の水源はすべて地下水でまかなわれてきました。
ところが二〇〇〇年十月、府営水道が導入された途端、わずか半年で、黒字だった水道会計は赤字に転落。三年後には33%の値上げが行われ、府下一番の高い水道料金(二カ月二十五立方メートル使用の料金五千二百三十九円。京都市は同量で三千百二十三円)となりました。しかしそれでも赤字は解消されず、いまや水道会計は八億円もの累積赤字となり破たん寸前です。原因は、実際に使っている三倍近い水量の府営水負担にあります。
日本共産党や住民団体、「水を考える会(真鍋宗平代表)」は、この事態を早くから予測、地下水の補完水源としての二元化一般論には反対しませんでしたが、大量の府営水導入計画は、「住民から地下水を奪いかねない」「大幅値上げにつながる」として議会や行政に粘り強く働きかけてきました。ところが、前町政は府の押し付けに屈服し、受け入れ水量の半分以上を占める工場用水までを受け入れたのです。
もともと、新たな府営水道計画は、乙訓(向日市、長岡京市、大山崎町)地域のために計画されたものではありません。関西財界の強い要求であった「学術研究都市構想」など関西圏を含めた大開発を予測して立てられたもので、その途上で乙訓地域にも持ち込まれたものです。
府営水導入後、日本共産党や民主町政の会が、繰り返し実施した町民要求アンケート結果は「高すぎる水道料金の値下げ」「地下水を利用したい」が、ダントツ首位に並び続け、一年半前の町長選挙で、「使わない府営水の返上で水道料金の値下げを」と訴えた真鍋宗平町政が誕生した背景にもなりました。
着任した真鍋町長は、日量七千三百トンのうち、町内の企業も使わない工業用水は府が責任を持ち、残り三千四百七トンの給水をと、受水量は受水市町の申請によるとした府条例に基づいて減量を府に申請しました。ところが、府は「受水量の変更には応じない」と、一年近く事実上協議を行わず、必要量の三倍近い水量の押し付けを続けています。
町は五月二十日に提訴。選挙公約や有権者の半数に及ぶ「不必要な府営水の返上を求める署名」にもとづいて訴訟にいたった経緯を住民説明会で説明した真鍋町長は、「これは大山崎町とその住民の、自治権の回復を求める訴訟です」と言い切ったように、町ぐるみの住民要求実現にむけて新しい段階に踏み込んだものです。(堀内康吉・党町議団長)
ダム事業の負担を軽減
大分市
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大分川のダム計画は、市民から支持された日本共産党市議団の論戦で大分市を動かし、計画の日量十万八千九百立方メートルの水利権を同三万五千立方メートルに縮小させ、これによって市の負担が約五十億円減額されることで一応の決着をみました。
ダム計画は、大分市が一九六四年に新産業都市の指定を受けて以降の急激な人口増加や、市中心部の高層化、トイレの水洗化の普及などの相乗作用で、水需要が急激に増加したことが背景にあります。しかし、七七年に隣町にダム建設反対同盟が結成され、八八年にようやく地元住民との合意がすすみました。
その後につくられた「大分川ダム建設に関する基本計画」は、二〇一〇年完成予定で、計画給水人口は五十一万五千八百人、最大給水量二十六万九千百二十立方メートルとし、ダム建設事業費は七百六十億円です。この計画では大分市の負担は事業費の三分の一となり、市の財政負担はたいへんなものになりました。
日本共産党市議団は、ばく大な財政負担は市の財政にも大変な影響を与える、ダム建設負担は市の水道料金の値上げというかたちで市民の負担が増えると指摘、ダム建設に頼るのではなく、20%ほど余っている大企業向け大分県の工業用水を市民の飲料水に回せと一貫して要求してきました。そうすれば市の負担が大幅に軽減されることになります。
住民運動にはなりませんでしたが、市政の重要な争点になりました。党市議団は議会でたびたび、余っている工業用水を飲料水に回すよう県に要求せよと追及してきました。国民のムダな大型事業への批判も高まり、〇六年四月、国の財政諮問会議がダム事業への投資が全国的に過大になっていることが指摘され、大分市も見直し、必要最小限度の水量でダム事業に参画することにしました。
日本共産党が、当初からムダな大型事業であるダム建設への参画をやめるよう一貫して追及してきたことが、部分的に前進しました。(大久保八太・大分市議団長)
国策による「遠くて高い水」
水道問題の根本に、国策として、水需要の過大予測に基づく水資源開発・ダムの水への転換=遠くて高い水が自治体に押し付けられたことにあります。
一九六一年に「水資源開発促進法」が制定され、「水資源開発基本計画=フルプラン」で、全国にダム建設計画が、引き続き七八年「長期水需要計画」、八七年「全国総合水資源計画=ウォータープラン2000」が策定され、合計四百三十億立方メートルという過大な水需要予測に基づく、巨大開発計画が全国で促進されました。
このプランは、一つは「県営水道事業」、二つは幾つかの都市でつくる「広域水道企業団事業」、三つは東京都のように自治体水道事業を都に統合する形ですすめられました。市町村は、近くて安くおいしい水である独自水源の地下水、既存ダムを閉鎖までして、都道府県水道、企業団のダムからの遠くて高いまずい水を押し付けられました。
日本水道協会の『日本の水道の現状』によると、年間取水量に対するダムの依存率は、六五年の12%から二〇〇二年には43・3%にまでなっています。
この大規模開発事業を始動する段階で、各市町村は、企業団、都道府県水からの受水量を契約させられました。現在もなお、使おうと使うまいと、たとえ余ろうといや応なしに契約水量どおりに料金を納めさせられ、市町村の水道財政圧迫の主要な要因になっています。おまけに、料金体系は「基本料金」と「使用料金」に分けられ、神奈川水道企業団の場合、基本料金単価は、使用料金の約十倍になっています。使おうと使うまいと高い負担を強いる仕組みが出発当初からつくられていたのです。
この鎖からどう抜け出すか? 京都府大山崎町が、府相手に訴訟を起こしたことは、全国的に大きな影響を与えるでしょう。(自治体局地方議員相談員 市村護郎)