2008年6月2日(月)「しんぶん赤旗」
枯れ葉剤被害をアピール
ベトナム戦争参加の元米兵
南北1700キロを徒歩で縦断
被害者支援 「オレンジ・ウオーク」
「だれもが枯れ葉剤に怒っている」。枯れ葉剤を浴びた元ベトナム戦争参戦米兵が、被害を世界にアピールしたい、とベトナム南北千七百キロを徒歩で縦断しています。四月はじめに南部ホーチミン市を出発し、ハノイまで全国で約四十軒の被害者宅を訪ね歩きました。(ハノイ=井上歩 写真も)
|
「オレンジ・ウオーク」と名づけた旅の発案者は元米兵の「ドク」ことバーニー・ダフ氏(58)。考えに共鳴したブログ仲間のベトナム人女性ブイ・ティ・バオ・アインさん(28)とインターネットで構想を発表しました。スタートには五、六十人が集まり、米国など国外からも六人が参加。被害者に渡す支援金は約六千ドル(約六十二万円)集まりました。
五月末、三人のベトナム人ボランティアを含む七人の一行は北部ニンビン省で三軒の被害者宅を訪ねました。
一言も発せず
|
抗米戦争時、カマウ省のウミンの森でたたかったディン・バン・クアンさん(58)の四人の子は、視力障害と知的障害を持ちます。一行が訪ねる間、家にいた三人の子はほほ笑みを浮かべて座っているだけで、一言も発しません。
「子どもを産めたのに、みんな病気で、母親としての幸福を享受できない妻がかわいそうだ」とクアンさん。ダフ氏らは話を聞き取り、撮影。メッセージを書いてもらい、集まったカンパを渡します。ダフ氏は「米国政府を代表できないが、一人の兵士、人間として謝罪します」と伝えました。
同省で一行は、八人の子のうち神経などに障害を持った二人しか残っていない父親の涙、補給路ホーチミンルートをつくった元工兵の末っ子で、全身まひで寝たきりの青年に出会いました。
ニューヨークから旅に途中参加した慈善団体運営のカーラ・レイリーさん(44)は「痛みに耐え、ベッドに寝ているだけの被害者をみて、胸が張り裂ける思いです。疲れきった母親にも会いました。彼らにはたくさんの癒やしが必要だとわかりました」と話します。
ダフ氏は一九六九年一月から四年間、陸軍の医療中隊の一員として旧南ベトナムのクイニョン市などに駐屯。枯れ葉剤散布地域にも入り、皮膚に病気を持ちます。
派遣後一カ月半の間に多くの孤児を見て、“自分も家族がいる。軍服の来訪者に孤児にされたら彼らを許せるか”―と疑問を持ったといいます。
「人々を共産主義から守り、自由にするのだといわれてきた。しかしベトナムの人たちは口は笑っていたが目は笑っていなかった」
四月からベトナムは暑さが厳しさを増します。ダナン市の手前で転倒して左腕を折り、歩くたびに痛みます。「でも枯れ葉剤被害の子どもたちを見ると、自分の苦難は何でもないと思う」といいます。
米の法廷でも
ニンビン省枯れ葉剤被害者の会のクアク・タイン・ミエン会長は「インフレで、ベトナムでもっとも貧しい被害者の生活はさらに苦しくなっています。米国の法廷で枯れ葉剤製造企業と難しいたたかいをしています。この試みを通じて被害者への支援が広がることを期待します。強く歓迎します」と話しました。
ダフ氏は「米国はじめ世界中から多くのメールがきて、枯れ葉剤とは何か、と聞かれています。これは最初の成功です。今回は人々の笑っている目を見ることもできた。来年もやるので、被害者支援のさかんな日本からも参加してほしい」と呼びかけています。
枯れ葉剤 除草剤の一種で、ベトナム侵略戦争中の一九六〇年代から七〇年代はじめにかけ、米軍によって広範な地域に散布されました。その大半が猛毒ダイオキシンを含むオレンジ剤でした。ダイオキシンは遺伝子異常やがんを引き起こしますが、米国政府はベトナムへの加害を認めていません。
■関連キーワード