2008年5月27日(火)「しんぶん赤旗」
平和の折り鶴
イラクで死亡 米兵の数展示
ワシントン
米国の戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)の二十六日に合わせるように、ワシントン中心部のナショナルモールで、イラク戦争で死亡した米兵士の数だけの折り鶴の展示が行われ、市民や観光客の目を引いています。(ワシントン=西村央 写真も)
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この展示を実施したのはニューメキシコ州ラスクルーセス市に住む大学教師ビッキー・アルドリッチさん(56)とクエーカー教徒の友人です。
一枚のパネルに四十の折り鶴が張り付けられ、その一つひとつの下には、イラクで戦死した兵士の顔写真、名前、年齢、出身地、軍での階級、死亡時の状況を記した紙が張り付けられています。
パネルは百十枚、鶴の数は四千を超えます。「イラク 平和の鶴 記念碑」との看板が置かれています。通りすがりの人が足をとめます。亡くなった知人を捜し当てたのか、一つの折り鶴と添えられた紙に目を凝らし、カメラに収める人もいました。
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アルドリッチさんが家族の協力を得て、この折り鶴の運動を始めたのはイラク開戦から半年ほどたった二〇〇三年の十月でした。
「当時米兵の死者は三百六十人ほどでしたが、政府はひつぎの写真さえ公表をはばかっていました。戦争の犠牲が国民の目から隠されてはだめだと思い、折り鶴でそれを示そうとしました」
一九七〇年代に、京都で学生生活を送ったことがあります。そのころ、広島を訪ね、原爆放射能の犠牲になった少女を記念した「サダコ像」に多くの千羽鶴が置かれていたのを見たことがヒントとなりました。
「いつもはニューメキシコ州内や隣のテキサス州で展示をしているのです。メモリアルデーでワシントンに行こうということになって、その話が地元の新聞でも取り上げられると、励ましや旅費のカンパがずいぶん寄せられたんです」
こう話すアルドリッチさん。人出も多い、週末の二十四日からメモリアルデーの二十六日まで三日間を展示日として選びました。展示許可をワシントンの公園管理局から得て、百十枚のパネルや必要資材をトラックに積み込み、ワシントンまでの約三千キロを走破しました。
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