2008年3月19日(水)「しんぶん赤旗」
「踏み字」元警部補 有罪
志布志事件 福岡地裁判決
密室の犯行を批判
川畑さん 「取り調べ可視化早く」
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二〇〇三年の鹿児島県議選をめぐる冤罪(えんざい)事件(志布志事件)に関し、取り調べを受けた川畑幸夫さん(62)に親族のメッセージに見立てた三枚の紙を無理やり踏ませ自白を強要したとして、特別公務員暴行陵虐罪で起訴された元鹿児島県警警部補の浜田隆広被告の判決公判が十八日、福岡地裁で開かれ、林秀文裁判長は懲役十月、執行猶予三年を言い渡しました。
判決は「踏み字」について「常軌を逸した行為」と指摘し、「家族等への尊敬、敬慕、情愛等を踏みにじらせ、(川畑さんの)人格そのものを否定させるような感情を抱かせ」、「被疑者の人権に配慮して取り調べを行うべき取調官としてあるまじきもの」と断罪。取調室という密室での犯行であることも併せて考えると、「犯行態様は悪質である」と強く非難しました。
一方、川畑さんが「十回以上」と主張し争点となっていた「踏み字」の回数については、川畑さんの証言に「疑問が残る」などとし、同様に「一回」と主張する被告人の供述も「不自然」と判断。結局「それ以上の認定は困難」とのべ、「一回踏ませた行為を認定する」にとどまりました。
閉廷後、記者会見を開いた川畑さんは「思っていた以上に厳しい判決だった。(被告は)判決を真摯(しんし)に受け止め反省してほしい」と注文。一方で「踏み字」の回数が「一回」とされたことについて「残念だ」とのべ、真実を明らかにするためにも「一日も早い取り調べの『可視化』が必要だ」と強調しました。
川畑さんの代理人の弁護士は取調室という「密室のヤミが、いかに暗く深いか(裁判を通じ)明らかになった」とのべ、取り調べが「可視化」されない状況のもとで「裁判員制度をすすめることに警鐘を鳴らす判決だ」と指摘しました。
解説
警察の思い上がり断罪
事件は江戸時代のキリシタン弾圧に用いられた「踏み絵」を連想させ、現代にいたってなお続く権力の蛮行に国民は強い衝撃を受けました。
取り調べは「狂気のさた」そのもの。机をたたき怒鳴る、「わいがバカが」などと罵声(ばせい)を浴びせる、あげくに「自白」を得るために親族への情愛さえ踏みつけにさせる――「拷問」としか言いようのない、文字通り戦前の「特高警察」を想起させる、前近代的な事件でした。
にもかかわらず、被告人は公判の席上、驚くほどの無反省ぶりをさらしました。涙ながらに陳述する川畑さんを見すえ首をかしげる、紙は「踏ませた」のではなく「足を乗せた」もの、「踏み字」を「侮辱と思わないか」と裁判長に問われ、即座に「思いません」と放言しました。
意見陳述にいたっては「志布志事件は鹿児島県警がでっち上げた事件では決してありません」などと言及し、退職してなお、警察への忠誠と弁護も忘れませんでした。
県警は、志布志事件の捜査員数名に対し表彰まで行っていた一方、事件の被害者に対する直接の謝罪は今もありません。
この事件で断罪されたのは「踏み字」行為の違法性もさることながら、「自分たちにはどんな横暴も無法も許される」という警察権力にひそむ、度し難い“思い上がり”にほかなりません。
密室をよいことに拷問まがいの取り調べでウソの「自白」を強要する――こうして引き起こされる冤罪事件を二度と繰り返さないためにも取り調べの全過程の「可視化」(録画・録音)は急務の課題です。取り調べ状況を常に第三者にチェックさせる「可視化」は欧米でもアジアでも広く行われ、世界の流れです。冤罪事件が続発する日本の刑事司法において、この面での立ち遅れの是正は一刻の猶予も許されません。(竹原東吾)