2008年3月19日(水)「しんぶん赤旗」
迷走 日銀総裁人事
「空白許されぬ」と言うが
責任は政府に
任期切れ(十九日)直前に至っても迷走に迷走を重ねる日銀総裁人事。本来、日銀総裁といえば、金融政策はもとより日本経済の健全な発展に責任を負うべき存在ですが、提案者である福田康夫首相の混迷ぶりは、首相にその自覚があるのか根本から疑問を持たざるを得ないものです。
日銀総裁は国会の同意を必要とするため、首相には、もともと野党が受け入れられる人事案を示す責任がありました。ところが、政府は当初、二月末にも、人事案を提示するとした方針を、ずるずると先延ばし。結局、国会に提示したのは、任期切れまで十日あまりの今月七日でした。
しかも、政府が総裁候補としたのは、野党が反対姿勢を示してきた武藤敏郎日銀副総裁。同氏は大蔵・財務事務次官として「構造改革」「社会保障費抑制」路線を主導。日銀副総裁になったあとは、家計の利子所得を奪ってきた「超低金利政策」を推進してきました。
野党の拒否明白
貧困と格差拡大をもたらした「構造改革」路線に無反省な「武藤総裁」案は十二日の参院本会議で否決され、不同意になりました。政府は、「(総裁の)空白は許されない」と繰り返し、あたかも野党に責任があるような態度を示しました。
一度否決されても武藤氏にこだわった福田首相がようやく差し替え案を民主党に打診したのが十七日朝。しかしそれは、現総裁である福井俊彦氏を留任させるというものでした。
福井氏といえば、一昨年、証券取引法違反(インサイダー取引)で問題となった村上ファンドに一千万円を出資し、利益をあげていたことが明らかになり、野党がそろって辞任を求めていた人物です。野党が同総裁の留任を認めることなどあり得ないことは明白でした。
そして、政府が十八日に総裁候補として国会に示したのは、田波耕治国際協力銀行総裁(元大蔵事務次官)の名前でした。
一九六四年に大蔵省に入省した田波氏は大蔵省総務審議官や理財局長などを歴任。九八年一月から翌年七月まで大蔵事務次官を務めました。
同氏は、大蔵事務次官当時、バブルで乱脈の限りをつくし不良債権をふくらませた銀行への税金(公的資金)投入を進めてきた張本人です。
六日前、財務省の事務方トップとして悪政を支えてきた武藤氏が不同意にされたばかりなのに、ここでも教訓が生かされたとはとてもいえないものでした。
政府・与党は総裁空席回避を口実に、十八日午前に田波総裁案を提示し、わずかその数時間後に衆参の議院運営委員会で日銀正副総裁候補の所信聴取を実施。十九日の衆参本会議で、同人事案を採決することをもくろんでいます。
統治能力の欠如
政府・与党は口を開けば、「日本と世界の経済情勢を考えれば、総裁の空席は許されない」という趣旨のおどし文句を言います。しかし、日本経済の健全な発展という重責を担う日銀総裁選びを迷走させた上、こんなやっつけ仕事のようにおこなおうとすることの方が、よほど日本と世界の経済へのマイナス要因になるのではないか。
支持率続落のすえの今回の事態。福田首相の統治能力の欠如がいよいよ極まったことのあらわれでしょう。(山田英明)