2008年3月17日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
古い建物 大変身
古い町家や歴史ある町並み、学校跡などを生かして、地域の人々の活動の場をつくり、楽しく広げるとりくみが全国にあります。盛岡市と鳥取市から伝えてもらいました。
蔵でジャズ 毎月イベント
盛岡まち並み塾
四月から政令指定都市に準じた中核市となる、人口三十万人の盛岡市には、中心市街地にある盛岡城跡公園と中津川など三つの川の流れが水と緑のシンボルとなり、その周辺には歴史的な建造物が多く残っています。その一方で、盛岡駅西口や盛南などの大型開発や百五十棟を超えるマンションの乱立、大型道路建設などで街が大きく変貌(へんぼう)してきました。
町家カフェ
市は、中心市街地の商店街や盛岡らしい町並みを壊す幅員二十八メートル、延長二千九百十メートルもの大型道路、都市計画道路・盛岡駅南大橋線を計画。これにたいし一九九七年、三つの町内の住民団体からそれぞれ反対の嘆願書が市と市議会に出されました。日本共産党盛岡市議団は、議会のたびに計画の見直しを求めましたが、市は住民の声を無視し、一部の事業化、整備を始めました。
中心地から歩いて十五分の鉈屋(なたや)町界隈(かいわい)は、盛岡城の外門があり、三つの街道の玄関口として栄えた町でした。築二百六十年の商家があり、盛岡町家は四十軒ほど残っています。二カ所の湧き水で四升の共同井戸が二つあり、いまだに現役です。周辺寺院群は環境保護地区になっており、市指定の保存建造物が四つあります。盛岡らしさが一番多く残っている町です。
二〇〇三年十二月、鉈屋町の住民や市民、建築士などに呼びかけ、「盛岡まち並み塾」を立ち上げました。「自分たちの町づくりを発信しよう」と提起。道路整備には賛成、反対もあるが、まずこの町の良さを地元の方や市民に理解してもらおうと、手探りの町づくりの一歩を踏み出しました。
最初のイベントは、造り酒屋「岩手川」の古い蔵での若者のジャズコンサートでした。百人以上が集まり大盛況でした。
その後、住んでいる町家を開放して「カフェ」を開き、二つの共同井戸をいかして地元の寄せ豆腐やトコロテンをふるまう「井戸と町家」、名人の手打ち蕎麦(そば)をふるまう「新蕎麦と町家」など、毎月イベントを継続しました。
この地域では、お盆に家の前で迎え火・送り火を焚(た)く昔の風習が残っています。昨年は一時間だけ交通止めをして、伝統さんさ踊り「黒川さんさ」が繰り広げられ、黒山の観客でした。五十年ぶりに家々を回る門付けを復活し、地元住民に喜ばれました。
ボランティアの協力で、それぞれのイベントには、数百人から千人近くの方が参加しています。
市民と協働
今年の「盛岡町家 旧暦の雛(ひな)祭り」は四月十二、十三の二日間開催します。五年目を迎えて、町家開放への初参加もあり、三十二軒、肴(さかな)町商店街十軒と昨年の倍近くの参加を得て準備が盛り上がっています。
イベント中心のまちづくりで、地元住民の意識が変化し、市もついに、道路計画で盛岡らしさをもっとも残す部分を見直す方向に動き出しました。一昨年は国交省の「都市観光の推進による地域づくり支援事業」の指定を受け、「盛岡市街並み保存活用計画」を策定。〇八年度予算には修景補助も計上され、市民と協働のまちづくりをうちだしました。
二〇一〇年には全国町並みゼミの盛岡開催が決まりました。町家とまち並みを残そうというとりくみで、町は住んでいる人がつくるものだという確信が生まれ、町のにぎわいも出てきています。(浦川陽子=盛岡まち並み塾事務局・前盛岡市議)
廃校を劇場に 地域も支援
鳥取市鹿野町
鳥取市鹿野(しかの)町は、鹿野城跡の城山を囲むように、家臣の住む殿町、その外側に町屋地区としての商業地区、さらに外側に職人町としての紺屋町、大工町などが配置され、典型的な城下町の風情を残しています。
芸術講座も
桜の名所の城跡の一角に、廃校となった旧鹿野小学校があります。その講堂、旧幼稚園の園舎を借り受け、中島諒人(なかしままこと)さんが主宰する「鳥の劇場」を二〇〇六年一月に立ち上げました。
鳥の劇場の創作活動の中心は、東西のさまざまな優れた作品の上演であり、演劇の楽しさを紹介する「舞台空間を作ってみよう」「演じてみよう」などの舞台芸術講座も計画しています。この劇場を拠点に、高知、静岡など県外や、今年は中国での国外公演も予定するなど、多彩な活動を展開しています。
ここに来れば、いつでも芝居が見られる、そんな市民劇場をめざす中島さんは「われわれが鳥取でお客さんや地域社会と築いた関係を前提に、芸術と社会の関係について新しいあり方を始められたらと考えています」と話します。「芸術と社会の関係をめぐるシンポジウム」も計画しています。
劇場を訪れたお客さんは「創(つく)る。試しみる。一緒にやる。様々な取り組みに共感します」「鳥取市の中心(県民会館)などで公演してくれたらと思っていたが、鹿野という町と『鳥の劇場』はしっくり合っていて、あたたかい手づくり感がいい」などの感想が寄せられています。
地元の人たちも、最初は「変な人たちがやってきた」とみていましたが、鳥の劇場の熱心な創作活動と演劇に接して、「劇場の活動を地域で支えよう」との機運が盛り上がってきています。劇の上演日には、駅から劇場までの観客の送迎や駐車場案内など、ボランティアが協力しています。
景観生かす
鹿野町ではこれまで住民と行政が、歴史・伝統・文化・芸術・教育面で一歩進んだ取り組みをしてきました。NPO法人「いんしゅう鹿野町づくり協議会」は、二〇〇〇年に「いんしゅう鹿野ドリーム計画」をつくりました。空き家となった旧家を借り上げ、行政と協働で、休憩・観光案内・特産品販売の「鹿野夢本陣」、地元の食材を使ったお食事どころ「夢こみち」を立ち上げました。地域になじんだイベントなどに積極的に取り組んでいます。
「夢こみち」代表の田中文子さん(64)はいいます。「いま、合併して旧鹿野町がさびれないように活動している人たちが集まりました。『鳥の劇場』の活動に刺激され、鹿野町の営みがぎっしりつまった城山近くの七十五年の歴史を持つ建物を、もう一度私たちの手でよみがえらそう、と町並み景観を生かした地域づくりの活動を開始しました」。(中村宏通信員)