2008年3月2日(日)「しんぶん赤旗」
久保山さん追悼
墓参平和行進
静岡・焼津の漁船「第五福竜丸」が太平洋ビキニ環礁で被ばくした事件から五十四年目を迎えた一日、焼津市で同船元無線長の故久保山愛吉氏の死を悼み、核兵器廃絶を誓う「献花墓参平和行進」が行われました。
海外代表を含む千三百人が、久保山氏が好きだった赤いバラを手にJR焼津駅から久保山氏の眠る弘徳院まで行進しました。駅前の青果店の女性(59)は、「私も核兵器は絶対反対。がんばってください」と行進する人たちを見送りました。
久保山氏の遺影を掲げて先頭を歩いた静岡大学二年生は、大学の平和サークルで活動しています。「広島や長崎、ビキニで一瞬のうちに多くの人の命を奪った核兵器がいまだに大量にあるのは許せません。ぜひ、なくしたい」と話しました。
福島県から参加した全国厚生連労働組合の青年(24)は「大石又七さんたち元乗組員は水爆被災の被害者なのに、その後、被ばくを理由に差別を受けた話を聞きグッときた。まわりに広げたい」とのべました。
墓前祭では、弘徳院の松永芳信山主が法話を行い、久保山氏を追悼した後、各団体代表が誓いの言葉をのべました。日本共産党中央委員会を代表して瀬古由起子氏が「“原水爆の被害者は私を最後にしてほしい”との久保山さんの遺言を胸に刻み、被爆者の全面救済と核兵器のない世界の実現へ奮闘します」と決意をのべました。
行進は、被災五十四年3・1ビキニデー静岡県実行委員会、日本宗教者平和協議会(宗平協)の共催で行われ、墓前祭は宗平協が主催しました。
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