2008年2月26日(火)「しんぶん赤旗」
イージス艦衝突1週間
見つからぬ父子 漁港無念
艦長聴取 いまだせず
海上自衛隊のイージス艦「あたご」が、千葉県勝浦市の漁船「清徳丸」に衝突した事故から二十五日で一週間。「清徳丸」の吉清(きちせい)治夫さん(58)と哲大(てつひろ)さん(23)親子は、いぜん行方不明のままです。「清徳丸」所属の新勝浦市漁協川津支所は同日、家族の申し出を受けいれて捜索打ち切りを決めました。地元の慣習「浦じまい」という儀式が寒風吹きすさぶ中、五百人が集まり川津港で行われました。(遠藤寿人、宮下進、矢野昌弘)
捜索について、同支所のなかから「もっと続けたい」という声も出ていました。家族・親族からの「これ以上、操業できずに迷惑をかけることはしのびない」との強い要望で、打ち切りが決まりました。
記者会見で外記(げき)栄太郎組合長は、「全国からの励ましを受けて、全力をつくしてきましたが、手がかりも発見されずに捜索を打ち切るのは残念」と無念さをにじませました。
地区総出
川津港から約二十隻、近隣の漁港からの船とあわせて約六十隻による連日の捜索体制。捜索で見つかったのは、治夫さんのシルバーのジャンパーと仮眠用の布団など。受け取った親族の男性は「こんな物しか戻ってこないんだ」といいました。
連日のように、岸壁に集まった住民は、うちわ状の太鼓をたたく儀式で二人の無事を海に向かって祈りました。漁協婦人部では、ところてん製造を臨時休業し、炊き出しに。約三百戸の小さな漁村、川津地区総力あげての捜索でした。
川津支所には全国からの激励のファクスが多数よせられました。「皆様からのはげましのお手紙まことにありがとうございました」と涙ぐむ治夫さんの兄高志さん(60)。全国で二人の生還を祈る日々が続きます。
第三管区海上保安本部(横浜)の調べや僚船の船長らの証言などから、海上衝突予防法での回避義務があたご側にあったことが明らかになってきました。
漁船側は事故当時について、GPS(全地球測位システム)の航跡などを示しながら証言。あたごが進路もかえずに回避行動をとらないまま、漁船団の中に入ってきたようすを明らかにしてきました。
真相隠し
一方、防衛省の発表はほとんどありません。
同省は当初、あたごの見張り員が、衝突の「二分前」に、清徳丸の「緑色の灯火」を確認したと発表。二日後の二十一日には、それが「十二分前」に「訂正」されました。それも、漁船船長らの証言で「うそ」を指摘され、また「訂正」しました。
矛盾点を突かれてから、船の右舷側の「緑の灯火」のほかにも、左舷側の「赤」やマストの「白」の灯火も見えていたことを明らかにする始末。同省は、真相を隠そうという態度に終始しています。
さらに、「あたご」は衝突の一分前まで自動操舵(そうだ)で航行していました。石破防衛相も「適切でない」と答弁。奇異なことに、海保による「あたご」艦長の事情聴取はいまだに行われていません。
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