2008年2月25日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
人と人の深い絆
新潟 震災乗り越え生きる
いまだ壁崩れ、道にひび
東京の学生たちが、中越大震災被災地(新潟県長岡市)と、中越沖地震の被災地(同県柏崎市)をまわり、被災者たちと交流、復興の課題について学びました。雪深い被災地で、学生たちが見たもの、感じたものは…。(菅野尚夫)
被災地訪問は都内の私立大学の学生サークルがよびかけたものです。リーダーの法学部3年、鳥越圭介さん(21)は「なんか支援できることはないか、ボランティアに行けないか、という話だったんですが。受け入れ体制がないので、復興の足取りを学ぶことにしたんです」と言います。
震災が結ぶ愛
訪問日程は20日からの3泊4日。初日は長岡市山古志(旧山古志村)です。牛を飼う関克史さん(27)から「夢を忘れないでやり抜いてほしい」という熱いメッセージをもらい、逆に励まされました。
克史さんは地震が起きた時、牛の世話をしていました。「80頭近くいた牛は半分が圧死しました」と、その時に受けた衝撃を語ります。50頭近くまで回復しましたが、「目標は80頭までに戻すことです」
牛飼いの長男として生まれ、「日本一の牛飼いになる」のが夢だった克史さん。東京の大学で畜産を学び、03年に帰郷して父親の仕事を手伝っていました。
妻・裕子さん(26)とは大学の先輩・後輩の間柄です。茨城県出身の裕子さんはプロポーズされ、日本一の豪雪地帯、山古志村(当時)を訪れたとき、想像以上の山奥と感じ、結婚をためらいました。
結婚の決断ができないでいた裕子さん。山古志や小千谷市、十日町市などを襲った中越大震災のニュースは裕子さんの心をかき乱しました。「山古志村で牛舎に押しつぶされて男性が死亡」。もしかして…。数時間かけつづけた電話。「大丈夫だよ」と克史さんから連絡が入り安どしました。
大震災の体験は、二人の絆(きずな)を深めることとなりました。裕子さんにとって克史さんは「なくてはならない大切な人」ということを思い知る出来事となったのです。
仮設住宅住まいとなった克史さん。魚沼市に牛舎を借りて生き残った牛たちを育てました。再建への一歩を踏み出したものの、心も身体もボロボロ。「安らぎの家庭がほしい」と、裕子さんへの断ち切れない愛情を深くしました。
「結婚しよう。温かい家庭をつくろう」。ふたたびのプロポーズは「自然とお互いの気持ちが通じ合いました」。
昨年、長女・彩葉(いろは)ちゃんが誕生。「山古志のように四季折々の色彩を放つ豊かな感性をもった魅力ある子どもに育ってほしい」とつけた名前です。
克史さんは、学生たちに言いました。「全国からの支援でつながりの輪を広げられ、今の私たちがあります。人と人とのつながり。みなさんも連帯を大切にしてください」
支え励まして
法学部3年で憲法を学ぶ桜木希世美さん(21)は山古志を訪ね、こう感じました。「情報は少ないけれども文化がある。コミュニティーがしっかりしていて幸せを感じ取れる。震災に負けないで生きる人間の素晴らしさを学びました。一人では生きられない。みんなで支えあって、励ましあって生きる集団の力の大きさを実感しました」
経済学部1年の妙高大輔さん(20)は「山古志では郷土料理で歓待してくれました。『自然の幸で暮らす私たちのほうが安全で安心できる食生活を営んでいます』という話はその通りですね。地元を愛する心、物ではなく人のつながりの大切さを学びました」と言います。
柏崎市山本団地では、中越沖地震のつめ跡がいまだに残っていて、衝撃をうけました。壁は崩れ、道路にはひびが入ったまま。
文学部2年の小桜佐智恵さん(20)は、「衝撃的でした。テレビで知ることと、実際とは、迫ってくる恐ろしさが全く違う。これだけ破壊されていても頑張っている。自慢できる地域があり、絆がある。私も4日間の経験を生かしたい」と話していました。経済学部2年の楓美鈴さん(20)も「女性の団結力が行政を動かしている。今回の体験は今後の人との接し方に生かしたい」といいます。
学生たちは、被災地での日本共産党の支援にも感動しました。桜木さんは「どこに行っても日本共産党への信頼が伝わりました。行政は画一的な支援しかできないけど、共産党はきめこまかい支援をする」。妙高さんも「政治のあるべき姿がここに実践されていると確信できました」と話しています。(学生は仮名です)
被災地訪問の日程
20日
東京出発。JR長岡駅から山古志に入る。
21日
長岡市の山古志支所で、震災当時の状況と復旧・復興の現状について説明を受ける。山古志集落センターで、郷土料理を食べながら被災体験を聞く。被災現場調査。
22日
闘牛見学。山古志の誇り、闘牛の歴史と伝統について話を聞く。ニシキゴイを見学。長岡市にある日本共産党の復興支援センターで責任者の宍戸末雄さんに話を聞く。柏崎市の山本団地で被災現場を視察。被災者と懇談。
23日
自由解散。
中越大震災の被害
中越大震災(04年10月23日)は死者68人、重軽傷者4795人をだし、住宅被害は全壊3175棟など12万棟以上に。中越沖地震(07年7月16日)は死者15人、重軽傷者2315人、全壊1320棟など4万棟以上が被害にあいました。
共産党
生活再建法の充実求める
震災直後に救援センター開設
日本共産党は、中越大震災の後、直ちに救援センターを開設し、救援募金と救援物資、ボランティアを募集。2億円を超える募金、段ボール7000個の救援物資、12000人を超えるボランティアが参加しました。
日本共産党は、一番困っている被災者のところまで救援活動を展開。中山間地集落の被災者まで救援物資や温かいトン汁(2万食を上回る)を届けました。
被災者が仮設住宅に移ってからも、雪国仕様の出入り口の風防施設の設置、結露対策などを行わせました。
昨年11月、改正被災者生活再建支援法が成立。被災者の切実な願いだった住宅本体への支援が盛り込まれました。
日本共産党は、さらに(1)支援対象の範囲を半壊世帯以上にし、店舗兼住宅も含める(2)支給限度額を引き上げる(3)被害認定のあり方の見直しを求めています。
お悩みHunter
契約社員に転職希望 派遣社員よりいい?
Q 派遣社員から、情報誌への転職を考えています。でも正社員ではなく契約社員。育児しながら働いている女性はいないみたいだし、将来も不安。それでも仕事はおもしろそう。派遣よりはいいかと思うのですが…。(25歳、女性、東京都)
事前に労働契約しっかり確認
A 契約社員とは、一般的には有期雇用者をいい、1年や6カ月など一定期間を定めて雇用する場合です。派遣社員は、派遣元である派遣会社に雇用されますが、別会社である派遣先の会社の指揮命令の下で働きます。
派遣社員も契約社員も、労働基準法や男女雇用機会均等法などの法律によって守られている権利を行使することができ、たとえば有給休暇や産休、残業手当などを請求することができます。労働組合を作って団体交渉することもできます。
ただ、契約社員は働く会社に直接雇用されるため、職場の使用者が雇用主としての責任を負いますが、派遣社員の場合には派遣先が雇用主ではないので、トラブルが起こりやすいのが実態です。
ただし、契約社員といっても、会社によってさまざまです。労働期間や仕事の内容、賃金、契約更新の有無など労働契約の内容を事前にしっかり確認することが大切です(使用者は労働契約の締結に際し労働条件を明示しなければなりません・労基法15条1項)。
ところで、私が労働相談を受けていていつも感じるのは、多くの方が法律で定められている基本的な権利を知らないために、不当な待遇を受けているということです。
あなたもこの機会に働く者の権利について学んでみては。労働相談情報センターや労働組合などで配布しているパンフレットなどは読みやすく、手軽に学習できて便利ですよ。
弁護士 岸 松江さん
東京弁護士会所属、東京法律事務所勤務。日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会委員。好きな言葉は「真実の力」。