2008年1月12日(土)「しんぶん赤旗」
1956年ハンガリー人民のたたかい どう考える?
〈問い〉1956年のハンガリー事件を描いた映画「君の涙 ドナウに流れ」をみて感動しました。ところで、映画では、ハンガリー共産党(注)と共産青年同盟がソ連と一体となって独立学生同盟や民衆の弾圧にまわる光景がえがかれていて、これをみた人は「共産党」の怖さや幻滅が残ると思いました。日本共産党は、ソ連共産党の大国主義とたたかってきたことは知っていますが、このハンガリー人民のたたかいは、どう見ているのでしょうか?(東京・一読者)
〈答え〉ハンガリーでは、1956年2月のソ連共産党20回大会での「スターリン批判」を機に、ソ連の干渉とそれに追随する政府の圧制に反対し、民主化を求める国民の運動が高まりました。これにたいしソ連は同年10月、首都ブダペストに軍を出動させ、多くの市民を犠牲にした弾圧をおこない、あらたに誕生したナジ政権を崩壊させます。
映画はこの運動に献身する女性と水球選手の愛とたたかいを、緊迫感をもって描いています。
日本共産党は、綱領で、ソ連について、「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道」を進んだとしています。そして、このソ連覇権主義を「歴史的な巨悪」と断罪しています。
日本共産党は68年のチェコスロバキア事件や79年のアフガニスタン事件については、これを他国民の自決権をおかすソ連などの侵略行為として、最初からきびしく批判しました。
しかし、ハンガリー事件の起きた56年は、党がまだ自主独立の立場を確立する途上でした。それに、党の国際活動がまだ広がっておらず、情報がきわめて限られた状況も加わって、全体としては、「反革命鎮圧のためのソ連軍の介入」とのソ連やハンガリーの党の説明を受け入れる誤った態度をとりました。
その後、日本共産党自身がソ連の覇権主義の干渉を大々的に受け、また、ソ連が他国の主権を武力で次々と踏みにじる現実を目にするなかで、党は、過去の問題であっても、ハンガリー事件を見直す必要があるとの結論に達しました。
党は82年、『日本共産党の60年』で、ハンガリー事件は「ソ連の年来の大国覇権主義のおしつけや、それとむすびついた官僚主義に反対する勤労人民のたたかいが爆発し、危機的な事態をひきおこした」ものとし、事件の評価と当時の党の見解についての再検討を提起しました。
そして88年、『日本共産党の65年』でハンガリー事件の経過を詳しく明らかにし、「全体として外国からの反革命の策動とはいえないもの」、「(ソ連の)軍事介入は、社会主義の大義、民族自決権に反する干渉行為であった」と評価を正しました。
ハンガリーの党自身が、ハンガリー事件でのソ連の軍事介入は誤りとの見地を明らかにし、ソ連によって逮捕・処刑されたナジ元首相の名誉回復を行ったのは翌89年でした。(米)
(注)ハンガリーの党の呼称は、1956年10月のハンガリー事件のなかで、ハンガリー勤労者党からハンガリー社会主義労働者党に変わりました。ハンガリー共産党というのは正確には、1948年以前の名称です。
〔2008・1・12(土)〕