2007年12月31日(月)「しんぶん赤旗」
自衛隊海外派兵 危険な実相
「誤射」・事故・自殺…
「湾岸戦争以来の日本の国際貢献の経験と体制が後退するのではないか」。一九九〇年代から自衛隊の海外派兵を推進してきた元政府高官の“危惧(きぐ)”です。
九二年のカンボジアPKO(国連平和維持活動)以来、拡大の一途をたどってきた自衛隊派兵は、二〇〇四年をピークに縮小傾向に転じています。
十一月には、テロ特措法廃止に伴ってインド洋から海上自衛隊が撤収しました。戦後初めて、派兵継続に反対する国民世論を受けて派兵が中断されました。最近の世論調査でも、インド洋への再派兵は「反対」が多数を占めています。
これに対して福田内閣は、インド洋再派兵のための新テロ特措法案可決に執念を燃やし、派兵恒久法制定も視野に入れています。
隊員に重い負担
安保政策にかかわる政府関係者は異なる見方も示しています。「実は、テロ特措法が廃止されていちばん喜んでいるのは、自衛隊員とその家族だ」
近年、海外任務や「海外派兵隊」化の部隊再編に伴う転勤で自衛隊員に重い負担が課せられています。イラクやインド洋に派兵した隊員のうち、十六人が在職中に自殺しました。(表)
陸上自衛隊第二次イラク派兵部隊(〇四年五月―八月)の警備中隊長を務めていたA三佐も、その一人でした。イラク南部サマワからの帰任後、「米兵に近づくな、殺される」などの言動を繰り返し、〇五年八月、札幌市内の山中で練炭自殺しました。
A三佐と同時期にサマワにいた元幹部は、こう証言しました。「自衛隊の物資を運んでいたイラク人の業者が米軍の誤射を受けたことから、『米軍のコンボイ(車列)には絶対に近づくな』と部下に徹底してきた。われわれが米軍のことをよく知っていても、向こうは知らない。特に、着任したばかりの米兵には東洋人もアラブ人も区別がつかない。友軍への誤射は少なくないはずだ」
もともと、「(日米)同盟重視ゆえの決断」(自民党閣僚経験者)だったイラク派兵ですが、「武装勢力」だけでなく、米軍からも命を奪われかねない泥沼の戦場で、自衛隊員の心身はむしばまれていきました。
最後のイラク派兵部隊である第十次部隊の「成果報告書」には、〇六年六月二十六日、サマワからイラク南部のタリル空港に向かった軽装甲車が転倒し、三人が負傷する事故が発生したことも記されています。
イラクやアフガニスタンでは敵の襲撃を避けるため、米軍などは猛スピードで車両を走らせます。このため、兵士の交通事故死が相次いでいます。
「全員無事帰国」という、イラク派兵部隊の「必達目標」を達成したこと自体、奇跡的でした。
新たな派兵渇望
とはいえ、自衛隊の幹部からは、相次ぐ海外派兵で「各国の軍隊と肩を並べられるようになった」などの自負も表明され、新たな派兵を渇望する声も絶えません。
第一次イラク派兵部隊を率いた番匠幸一郎陸将補(陸自幹部候補生学校長)は、アフガニスタンへの派兵について問われ、こう答えています。
「法律があり、政府から命令があれば、われわれは問題なく実施できる。粛々と任務をこなします」(十二月八日、国際安全保障学会での発言)
自衛隊派兵の拡大の契機となったブッシュ米政権の先制攻撃戦略は破たんしました。イラクは出口の見えない泥沼に陥り、アフガニスタンでは政治的手段による和平の道が模索されています。
大義が失われたインド洋とイラクへの派兵ですが、それを継続することが日米同盟重視の姿勢を示すことであり、「国際貢献」だと信じる政府に、発想を転換する兆しはみられません。(竹下 岳)
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