2007年12月28日(金)「しんぶん赤旗」
主張
教育再生会議報告
安倍流「改革」に未来ない
政府の教育再生会議が二十五日、「第三次報告」を公表しました。再生会議をつくった、当の安倍晋三前首相が政権を投げ出し、再生会議の存在意義そのものが各方面から問われるなかでの報告です。
「報告」は、再生会議が何のためにつくられたかをあらためて浮き彫りにしました。戦前回帰をねらう勢力や教育に競争原理の徹底をもとめる財界などの主張を、政府では言えないようなかたちで露骨に代弁し、国の教育政策を乱暴にかえることです。教育研究者を一人も含まない異例の人選もそのためです。
「徳育の教科化」ねらう
今回の報告では、「徳育の教科化」の再提案が典型的です。あまりの復古調に文部科学省の中央教育審議会ですら、「教科化」を見送る方針をかためています。それを蒸し返そうというのです。
市民道徳は、憲法の立場にたち、すべての人々の「個人の尊厳」、基本的人権を尊重し、お互いを人間として大切にすることを基礎とするもので、教育にとって中心的課題のひとつです。子どもの悩みや社会の矛盾など現実生活にそくして、子どもが自分たちの頭で考えながら人間的モラルを培うことができる、そうした教育がのぞまれます。
ところが、再生会議の「徳育の教科化」は、「偉人伝」などを使い、「挨拶(あいさつ)や礼儀」「善悪の判断」などを教えるといいます。戦前の「修身」と同じ発想で、政府に都合のいい価値観を上から教えこむものです。
「教科化」のねらいについて、安倍前首相のブレーンとして「教育再生」を主張してきた八木秀次氏は、「道徳の時間におかしな平和や人権などを教えることができなくなる」(「産経」二十六日付)とあけすけに語っています。
「報告」は同時に、「競争原理の導入」のために財界などが主張している「バウチャー制度」をモデル事業として実施することも打ち出しました。この制度は文科省すら難色を示しているもので、学校選択制を導入し、生徒が多く集まった学校の予算を手厚くし、生徒が集まらなかった学校は逆にしようというものです。
必ずどこかの学校が「負け組」となり、そこから予算がとりあげられます。「負け組」にさせられた学校にいる子どもたちにどんな責任があるというのでしょうか。学校も教員も「負け組」にならないための不毛な競争にかりだされ、「子どものために」という教育の原点は後景にしりぞきます。
実際に学力テストの平均点の増加率を予算配分に反映させた東京都足立区では、平均点をあげるための不正が相次ぎ、区民の怒りのなかでその方式が中止に追い込まれました。
「報告」には、「学校の統廃合を推進する市町村を支援する」ことも盛り込まれました。教育予算を削減しようとする財務省の要求です。しかし、国民の要求は、先進国で最低レベルの水準を向上させて豊かな教育条件をつくることです。
国民との矛盾広げる
こうした「報告」の方向は教育の条理に反し、国民との矛盾をひろげるばかりです。ところが、福田康夫首相は「基本的な考え方を具体化する」と述べました。安倍政権の悪政を基本的に引き継ぐ同政権では、日本の教育はよくなりません。
来年は総選挙が必至といわれています。この分野でも自公政権に厳しい審判をくだし、憲法にもとづき、国民の願いにこたえる教育改革をすすめる、新しい政治の流れを大きくしようではありませんか。
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