2007年11月30日(金)「しんぶん赤旗」
経済時評
グリーンスパン回顧録とドル離れ
FRB(米連邦準備制度理事会)の前議長アラン・グリーンスパン氏の回顧録のアジア版(『波乱の時代』上下、日本経済新聞社)が発売されました。出版契約金だけでも推定八百万ドル(約九億円)と言われています。
グリーンスパン回顧録が世界的なベストセラーになっている、ちょうどそのとき、ニューヨーク株式市場は大幅に下落し、ドル離れによるドル暴落の不安が世界を覆い始めています。米国から流出した巨額な余剰マネーの投機で原油価格は一バレル=一〇〇ドルに迫り、金の価格も史上最高値に高騰しています。
アメリカの“繁栄の時代”を証言するグリーンスパン回顧録は、皮肉にも、これから予想されるアメリカの“凋落(ちょうらく)の時代”を見通すうえで、たいへん参考になります。
「自由市場資本主義」は、市場万能の新自由主義
グリーンスパン氏は、一九八七年から〇六年までの十八年間、FRB議長として君臨し、就任直後のブラックマンデー(八七年の株価暴落)やアジア、ロシアの通貨危機などを見事に収拾したことで、「金融政策のマエストロ(巨匠)」、「アメリカの繁栄を演出してきた司令塔」などとたたえられてきました。
そのグリーンスパン氏は、九〇年代の“アメリカの繁栄”の要因をどう解明しているか。
回顧録では、第一に、IT(情報技術)革命による生産性向上とインターネットのブーム、第二に、ソ連・東欧、中国の市場経済への移行によって「十億人以上の低賃金労働者」がグローバル経済に参入し、インフレなき繁栄局面が続いたのだと指摘します。
しかし、これら二つの要因は、アメリカだけでなく、世界各国で共通の歴史的条件です。
ではなぜ「(九〇年代に)ヨーロッパと日本で経済が沈滞する一方、アメリカでは経済が勢いよく成長するようになった」のか?
この疑問には、こう自問自答しています。
「アメリカがそれまで二十年、規制緩和やダウンサイジング、貿易障壁の削減など、ときには苦痛に満ちた手段をとって経済改革に取り組んできた努力が、ようやく実を結ぶようになったのだ」(上巻、267ページ)。 |
グリーンスパン回顧録を読んで、はっきりわかることは、同氏が主張する「自由市場資本主義」とは、市場万能の新自由主義にほかならないということです。
それは、「初対面でサッチャーに対して抱いた好印象は、首相になってますます強まった」とか、新自由主義派経済学の大御所、ミルトン・フリードマン教授の「路線は正しい」などと強調していることからもわかります。
投機による原油高騰も「市場の効率的な働き」
回顧録では、アダム・スミスやカール・マルクスまで引きながら、「自由市場資本主義」の優位性を論証しようとしています。しかし、結局いわんとすることは、「市場のことは市場にまかせよ」という単純な命題です。
たとえば、第24章「長期的なエネルギーの逼迫」では、投機資金が原油価格を押し上げていることは、一方では生産増強、他方では消費減少をもたらすので市場の需給調整を促進し、望ましいことだと強調します。投機活動がなければ、「世界は、過去よりもっとはるかに深刻な石油ショックを経験することになった」、「ここでも市場の力が効率的にはたらいているだけなのだ」というわけです。
回顧録では、「教育と所得格差」(第21章)や「高齢化する世界―だが、だれが支えるのか」(第22章)など、市場万能主義がもたらす内政的困難もとりあげています。
しかし、格差拡大の「解決策」としては、フリードマン教授が提案した「公立校に競争の要素を導入するバウチャー制度」や「高いスキルをもつ移民を大量に受け入れる」こと、高齢化社会の年金・医療制度では「唯一の実現可能な選択肢が、私的保険の形態であること…は、ほぼ確実である」というだけです。
戦後第II期の“繁栄の時代”は終わり、ドル離れの時代へ
一九四〇年代後半から六〇年代までをアメリカの戦後第I期の“繁栄の時代”とみるなら、グリーンスパン氏の活躍した八〇年代末から二〇〇〇年代前半までは、戦後第II期の“繁栄の時代”といえるでしょう。
戦後第II期の“米国経済の繁栄”は、新自由主義的な経済理論、市場開放、市場万能の経済政策を世界に広げて、基軸通貨ドルの特権によってアメリカに資金を集中し、ドル高、株高を続けることで成り立っていました。
グリーンスパン氏は、グローバル化した現代経済では、膨れ上がる米経常収支の赤字も、かつてのように「懸念する必要はない」、経常収支の不均衡を問題視するのは「十八世紀初めの重商主義の強迫観念」と強弁しています。
しかし、こうした主張は、新自由主義者のおごりであり、“アメリカ一国繁栄の構図”は、しだいに崩れはじめています。ドル離れは、短期的な投機的資本の流出だけでなく、原油などの国際商品の決済がドル建てからユーロ建てに転換するきざしをみせるなど、国際金融の深部でも進みはじめています。
グリーンスパン氏は、中南米で嵐のように起こっている政治革新の動向をポピュリズム(注)と決め付け、「知的なものとは程遠く」「処方箋(せん)は曖昧(あいまい)」「根本的に間違い」と特徴づけています(第17章「中南米とポピュリズム」)。米国の新自由主義路線押し付けに抗する中南米諸国の変革の世界史的意味を、完全に見誤っているといわざるをえません。
二〇〇八年は米大統領選挙の年。米国の内外で高まる一国覇権主義反対、新自由主義路線押し付け反対の声に、米国民はどう向き合うか。それが問われています。(友寄英隆)
(注)グリーンスパン氏は、ポピュリズムを、「特権的なエリート層に対して、一般国民の権利や力を擁護する政治哲学」と定義している。